蒼天に鳥の舞う 




「あ、レイさん」
 来て下さったんですね、と嬉しそうに駆け寄ったのは、くりくりとした、栗鼠のように愛らしい瞳の少年だった。
 レイは小走りに駆け寄ってくるホノカに軽く手を掲げることで挨拶の代わりとした。誰もが特に意識せずに行うそんな何気無い仕草でさえ、レイが行えば貴族の会釈のように優雅に映るから不思議だ。いや、彼は古く華族の血筋を引いていると云うから、それもまた当然のことなのかもしれない。それにしてもその動作一つで、周囲の人間の目をその一身に向けさせてしまうと云うのは、やはり一種のカリスマであろう。
「やあ、ホノカ。――それで、サツナの調子はどうなんだい」
 礼よりも頭一つ分以上背の低いホノカに笑い掛け、レイは様子を窺うように心持ち伸び上がって前方に視線を投げる。ホノカはにっこりと笑んでレイの質問に答えた。
「次が決勝なんです。流石はサツナさんですよね!」
「そう。どうやら一番大切な場面には間に合ったみたいだね」
 両の拳を握り締めるほど興奮した様子のホノカに笑いながら返し、レイは観戦者の万分の一ほどにも興奮も意気込んでもいないだろう当事者――サツナのもとへ向かうために足を踏み出した。何を言うでも無くホノカがそれに習い、二人は並んで人ごみの中を歩いてく。
「レイ、決勝進出だって?」
 見つけた目的の人物からは、まだ数メートルの距離があるあたりで、礼が声を掛ける。気づいたサツナが首だけを巡らして視線を向けた。静謐な――とでもいうかのように、その表に浮かぶ感情はない。
 サツナのことを良く知るものであれば、それが本当に彼が何も感じていないのだと知れたかもしれないが、そうでなければ今のこの状況から、彼が何者にも心を動かされずにただ次の試合に臨むべく心を研ぎ澄ませている――と、勘違いもできたかもしれない。
 まだ十代の若さで心技体を極めている――。そう云われても納得させられてしまうほど、サツナという少年には見る人々を圧倒させてしまう何かがあった。
「それで? 決勝の相手って誰なんだい?」
「さあ」
「サツナ…。君さ、もう少しくらい、周りのことに関心を持とうね」
「興味無い」
「はぁぁ」
 レイが溜息をつくのに、おろおろと慌てたのはホノカだ。当のサツナは相変わらずの無表情でそっぽを向いてしまっている。
「あ、あの、決勝の相手は僕と同じ二年生なんですよ。邪馬台学園の紅真さんです」
「邪馬台学園? ――ああ、あのマンモス校か」
「知ってるんですか?」
「とにかく大きな学校だってことくらいだけだけれどね」
 レイは苦笑を返した。現在彼は幻水学園高等部の二学年である。この学園は幼年部からあるが、レイは高等部からの外部入学者であった。
 それまで彼はグレッグミンスター学園という、良家の子息が多く通うことで評判の学園に所属していたが、ホノカとの出会いにより幻水学園への外部試験を受験することを決め、現在に至る。因みにサツナとレイの付き合いは、レイが幻水学園に入学してからのことだ。
 レイには高校一年の折、同級生となったことをきっかけに親友となった少年がいて、その親友を介してサツナと知り合い今に至る。ホノカとサツナの出会いも同様の時期だ。テッドを通してサツナと知り合ったレイ。その礼を介して、サツナとホノカが知りあうこととなったのである。
 その親友、テッドは、本日どうしても外せない事情があるとかでこの場にはいない。サツナのやる気のなさ、というか、普段にも増しての無表情、無関心っぷりはこれに由来するが、それでも彼は優勝する気だけは満々のはずだ。何せ、大会前にテッドから「頑張ってこいよ」と笑顔で送り出されている。優勝したら祝ってやるとの言葉も貰っている。
 テッドからエールを送られてやる気ならなければ、それはサツナではない。
 誰の言葉も聞かない。何事にも関心を持たない。そんなサツナの例外が、テッドであった。テッドの前でのみ、サツナは飼い犬が尻尾を振っているかのように感情が分かりやすい。その関連をもって、サツナはテッドの親友という位置に収まっているレイが大嫌いであった。その素っ気無さに磨きがかかるのも仕方のないことだと、少なくともサツナは云うだろう。
「じゃあ、きっといろんな人がいるんでしょうね。それでなんですかね。二年で決勝戦にまで来る実力者なのに、一年の時には顔を出さなかったのって」
 首を傾げたのはホノカだ。答えたのはレイではなくサツナだった。
「いや、あそこの学校は一年生は大会への参加ができないんだ」
「えっ、どうしてそんなこと」
 ホノカの驚きは当然のことといえる。様々な分野において、一年生が代表になることは実力的な面からして珍しいことだが、参加それ自体が禁止されているなどというのは滅多にないことだ。
「そこまでは知らない。だって他校のことだもの」
 サツナの云う事はいちいちもっともであることが多い。だから余計に冷たい印象を与えるのかもしれなかった。
「さてと。そろそろ時間だ」
 サツナが腰を上げた。身につけた黒い袴がその動きに合わせて流れるその様が、まるで細流の水面のように静かで。ありのままに生きる、彼らしかった。


 神前に礼し、相手に礼し、剣を構える。基本は五分、三本勝負。


「やっぱりサツナさんはすごいですね。これで全国大会三連覇達成ですもん!」
 帰途。
 現地解散となった為、レイ、サツナ、ホノカの三人は連れ立って帰路を辿った。陽が傾きかける夕暮れの中で、興奮気味に話すホノカに、サツナは試合を終えての披露や、勝利の興奮も見せない様子でゆるく首を横に振った。
「そうでもないよ。彼がもし僕と同学年なら、かなりの確率で彼が勝ったんじゃないかな。剣を二本使わせてもらえば、少なくとも今日の彼のコンディションならまず間違いなく僕が勝つだろうけど」
 むしろ楽勝。サツナは語る。
 実を云えば、サツナは珍しくも二刀流の使い手だった。剣道の試合で二刀は許されないし、かといって二刀流での試合が公式あるわけもない。それでも剣の道に携わりたいと思えば、一本で渡り歩くしかないのである。
 同様のことはレイにも云えた。彼もまた剣道部に所属しているが、彼の獲物は剣ではなく棒である。剣道、居合道、槍術、棒術、薙刀――といった古典武術は、纏めて「剣道部」扱いに括られてしまっていた。唯一弓道部は別にされているが、最近では射撃部、又は剣道部との合併話も持ち上がっており、中々厳しい状況だと、語ったのは弓道部所属である親友だった。
 幻水学園は邪馬台学園にも並ぶほどの巨大校で、個性豊かな人材の宝庫として有名であったが、そんな学園にあってさえそういった状況にあるほど、担い手不足は深刻であった。
「相対すればすぐ分かることだけど、なんだかすごく気が漫ろだった。失礼な話だ、まったく」
 試合に集中しないことが失礼にあたるのであれば、サツナにだけは云われたくないだろうなとレイは思ったが、あえて口にはしなかった。サツナに云って彼がそれを素直に受け反省するはずもない。むしろ彼はそうである自分を正確なまでに理解して尚、それで良しと割り切り突き進むゴーイング・マイ・ウェイな人物であるのだから。真剣勝負の最中(さなか)、別のことに気を取られ、それでも軽々とこなしてしまうという、実にムカつくことを平気でやってのけてしまう人種なのだ。
「サツナさんがそこまで云うなんて、よっぽど強いんですね」
 ホノカは純粋に感心しているようだった。この人を疑うことを知らないかのような純粋で天然気味な少年には、流石のサツナもそれなりに絆されてしまう点があるのだろうか。余程のこと――サツナにとって余程といえることなど、テッドが関係している以外にありえないが――でもない限り、サツナがホノカの言葉を無視することはない。
「だろうね。でも、別のことに気を囚われてなお僕に勝てるほどじゃない」
 何に気を取られていたかなんて、知ったことではないけれど。
 肩を竦めるサツナに、レイは胸中目を丸くしていた。彼がこんなにも他人のことを口にするなど珍しいと感じたのだ。
「……本当に、今日の対戦相手は実力者だったみたいだね」
 サツナの関心を引くほどには、確かな腕前を持っていたのだろう。同じ世代にあり、同じ剣の道に生きているのであれば、これから先、幾度となく、相対することになる可能性は高いだろう。
 呟かれた例の声は、連れの誰の耳にも届かなかった。それはそらに吸い込まれ、だからこそ、逆に予言めいた不気味さを空気中に与えたのかもしれなったが、やはりその事にも、気付く者はいなかった。それを発したレイでさえも、次の瞬間には捨てていた感傷だったのだから。





『よぉ、サツナ。三連覇達成だって? おめでとさん』
 携帯電話から流れる声に、サツナは胸の中心から満ち足りた感情が広がって行くのを感じる。風呂上がり、まだ体は温かく、けれど夏場であればそんなものは只管(ひたすら)うざったいだけの代物だ。自室に戻って窓から入る風にでも当たりながら本でも読もうかと思っていた時に流れる着信に、慌てて手を伸ばしたのは遂先のこと。
「うん、これで引退だしね」
『だな。でもそのまま高等部に持ち上がりだろ? また校舎が同じになるな』
「楽しみだな。授業をさぼるときは教えてよ。今度は授業時間が同じだもの。僕も抜け出すから」
『分かってるって。約束だしな。しょうがねぇ』
 ――約束。
 基本的に真面目なくせに、優等生だというには激しい葛藤を生じさせるのが、テッドという少年に対する教師及び学友たちの評価だった。時に授業をエスケープすることは珍しくないが、かといって不良かといえばそれもまた微妙だ。
 宿題の提出を忘れたことはないし、部活動や委員会の取り組みも真面目。それらの面のみで云えば、授業などサボタージュしたことのないレイよりも余程几帳面に役職をこなしていると云えるだろう。
 自分の負った――或いは追わされた責任に対して、直向きなまでに真摯なのかもしれなかった。
 だから、彼は「約束」というものについてもとても真摯的だ。余程のことがない限り――例えばそれが傍目から見てどうにも理不尽であったとしても――、彼がその約束を無視することはない。
 それを知っていて、サツナはお願いをした。
「うん。今度は、僕も一緒に空を見るからね」
 大会で優勝したら。
 テッドが、どうしてあんなにも蒼い空に焦がれる――少なくとも、サツナの瞳にはそう映った。ふとした瞬間、テッドは良く空を見上げている。まるで、羽衣を失くし天に帰ることができなくなった天女にような直向きさで――のかを知らない。けれど晴れ渡る空の日に、テッドが教室の窓から垣間見える小さく切り取られた硝子越しの空などではどうしても我慢できずに授業をサボタージュすることは知っていた。
 一人でいたいというのならば邪魔はできない。けれど、そうでないのなら――。
「これで、少しでも貴方と一緒にいられる」
 少なくとも一年は。その幸福な思いに、サツナは満面の笑みを作った。







こめんと
 リボーンのヒバツナが好き。なので初めタイトルに雲雀って入れそうになって、話と全く関係ないので思い止まったという裏話。サツナと紅真のどちらを勝たせようか最後まで悩みましたが、とりあえず今回は学年が一つ上という設置絵のサツナに軍配が上がることになりました。同学年設定だったら、紅真だったのですが(サツナはちょっと剣道の主流とは流派が違うのです。だって一番得意なのは二刀流ですから/笑)。というか、萌えも盛り上がりもない話で申し訳ありません。でも書きたい雰囲気が書けたから満足です。
 邪馬台幻想記小説「紅天に華の散る」とコラボしてます。興味があれば覗いて見て下さいです。
 ご意見ご感想ありましたらぜひお寄せ下さいです...2007/08/26