+ みみとしっぽとふわふわで/2 +















明確な目的はなく
ただ漠然と
惹かれる様にしてやって来たのです




















 なんでここに来たのかなんて、自分にも分からなかった。
 ただ漠然とした心に沸き起こった衝動のみに導かれ、自分はこんな所までやって来てしまった。

 眼前に広がるのは陽光に照らし出され眩しく輝く強大なビル群。蒼い空がその決して広いとは云えない隙間から覗く。広く、広く、どこまでも希望に満ちたかのような綺麗なところだった。
 後ろを振り返ればそびえる灰色の壁が、そんな胸弾ませる幻想など一瞬で崩してくれたが。

 どうして自分はこんな所にいるのだろう?
 乾いた冷たい風が心の中を通り抜けたような気がした。

 けれどもう後には戻れない。帰ることはできないのだ。
 こんなにきちんと整ったところでは、きっと自分はあっという間に捕まってしまう。隠れるところなどないから。
 けれどもう帰ることはできないのだ。あの、剥き出しの岩だらけの世界には。それでも尚緑に溢れたあの世界には。あの荒れ果てた力強い…それでもこの姿を隠してくれる、あの世界には。
 もう、戻れない。
 何か…ではなく、自分の心がそう告げる。理由などわからないが、確かにそう告げる。
 もう、後戻りはできないと。

 何を求めてこんな所に来たのだろう?
 くせのある赤い髪を揺らして、カズマは一歩を踏み出した。

 歳のわりには痩せすぎていた。それでも必要最低限の食事は採れているらしかった。
 足取りに不安な部分は欠片もない。
 光の反射するこの世界で、カズマの身に着けている衣服はあまりにも暗かった。くたびれ、汚れていた。サイズすらも合ってはいなかった。

 自分の横を通り過ぎる人々が、自分のそんな姿を奇異の視線で見やって行くのを痛いほど感じた。けれど気にはしなかった。

 行く当てに目的はなかった。道も知らなかった。
 当然だ。
 ここには今、初めて来たのだから。
 けれどそんな態度はおくびにも出さなかった。

 声は掛けられたくなかった。
 怖いのではない。面倒なだけだ。

「…ここ、どこだ?」

 カズマはその表情を歪めた。
 いつのまにか随分と街の中心まで来てしまったようだった。白い壁が延々と目の前に続き、出入り口も見えないが、僅かに家の屋根らしきもが覗いているのだから、その壁の中にはやはり人の住む家があるのだろう。
 外の世界に住む自分達を…イヤ、自分はそこでも異色なはじかれた存在だったが――馬鹿にしたようなところが広がっているだろうことが、決して頭が良いとは云えないカズマにも容易に想像ができた。

 ふわふわふわ。
 自分の髪が揺れることなど気にもならない。
 カズマはとてとてと小走りになり、壁にそって移動した。どこかに必ず出入り口があるはずだと思った。…せっかくだから、そのバカみたいな家とやらを見てみたいと思った。
 なぜか胸に奇妙な引っ掛かりを覚えたが、自分がこの壁の向こう側に興味を持つ理由が他に思い浮かぶこともなかったので、そう納得することにした。
 元々、深く考えるのは苦手なのだ。 思ったままに行動することこそが、やはり自分らしいのだと思える。それが、どんな結果を招いても後悔しないという覚悟を持っている限りは、それで良いのだと思う。大丈夫だと、心が訴える。

 はたして、それは美しかった。
 門の遥か遠くに見える邸は、そんな知識も感慨も持たないカズマにも素直に美しいと思えるものだった。そこまでに伸びる緑の芝も瑞々しく、植えられている木々も良く手入れされているのが一目でわかる。

 少しでも広範囲が見たくて、カズマは門の辺りを行ったり来たりしていた。
 すると、不意に掛けられた声。

「あ、あの――」

「ん?」

 家や手入れの行き届いた庭の緑に見惚れていて、人の近付いてくる気配にまったく気が付かなかった。だから、思わず漏れた間の抜けた返答。
 カズマは胸中で舌打ちした。

 振り向いたそこにいたのは碧い髪に深紅の瞳の少年だった。
 その隣には大型の犬が並んで控えている。

 突如として現れたその少年の年齢はカズマ自身と同じ位だろう。もっとも、平均よりも痩せ気味のカズマと比べれば、深紅の瞳の少年の方がずっと年上のお兄さんに見える。
 カズマとは正反対の、きちんと背筋の伸ばされた姿勢もそう見せる要因の一つだろう。身に着けている衣服は、カズマがここに来るまでに通り過ぎた幾人もの人々のそれよりも、ずっと良い物だと、カズマの目にも見てとれた。

「なんだよ、てめぇ」

「えっ、あ、あの…」

 鋭い視線を向けて睨み付けるようにして、唸るようにいつもよりもずっと低い声で云ってやれば、深紅の瞳の少年は僅かにうろたえたようだった。
 僅かに優越感に胸中でのみほくそえむと、思いもかけない言葉が返ってきた。

「もしかして…男の子…?」

 カズマを指差して云ってくる少年に、カズマは咄嗟にはなんと云われたのか理解することができずに、その琥珀色の瞳をきょとんと見開いて少年を見つめた。
 深紅と琥珀が束の間の間交わり合う。
 気が付いた時にはあまりの羞恥と怒りに顔を赤く染めて、カズマは声の限りを出して怒鳴り返していた。

「な、何云ってやがる!!男じゃなきゃ他に何に見えるってゆーんだよ!!」

「あ、すみません…。女の子かと……」

 問えば相手は律儀にも答えてきた。
 その返答は到底笑って許せるものではなかったけれど、いつまでも怒鳴り散らすにはあまりにもくだらない話題でもあった。
 だからカズマは腕を組み、軽く睨み付けて云うだけに止(とど)まった。

「ばかじゃねーの、お前。男と女の区別もつかねぇのかよ」

「すみません…」

 不機嫌を隠すこともなく云ってやれば、相手は素直に謝罪する。それから困ったように視線をさ迷わせ、話題を変えるように言葉を続けた。
 カズマにとってもいつまでも引き摺りたい話題ではない為、それに乗ってやることにした。

「あ…ええと、何してるですか?」

「あ?…捜し物」

 けれど、正直、それにどう答えて良いのかが咄嗟には浮かんでは来ず、答えは歯切れの悪いものになってしまった。
 カズマは再び胸中で舌打ちした。

「捜し物?」

「まぁな…」

 思わず少年から視線を外してしまう。
 捜し物というのは、あながち嘘でもないような気がした。何を探してここに来たわけでも、何を捜しているわけでもなかったけれど、自分は何かを探してここに来たような気がしたのだ。

 けれどどう言葉にして良いのか分からなかった。
 言葉に出来たとして、それを信じてもらえるとは到底思えなかったし、自分がここでは怪しすぎる人物であることも自覚していた。
 だから咄嗟に嘘をついた。

「…う〜ああっと。猫が入り込んじまって、探してたんだよ」

「猫?君が飼ってるの?家に入り込んじゃったの?」

「いや…さっきその辺で見つけて、面白いから追っかけてだだけ」

 だからもう帰る。
 カズマはできる限り軽く、そして素っ気無く云った。
 これ以上ここに居たくなくて…追求されたくなくて、慌てて踵を返すと、再び声が掛けられる。

「あ…」

「なんだ?」

 思わず立ち止まり。振り返っていた。
 まるで無意識に出た呟きのような呼び掛けだったから、聞こえないふりをしてそのまま走り去ってしまえば良かったのに…。

 なぜ…そうしなかったんだろう。

 少年はカズマが思いがけず立ち止まり振り返ったことに、幾分か戸惑っているようだった。
 僅かに口篭もりながら、それでもはっきりと自分の意志を伝えてくる。

「そ、その、名前…教えてもらえませんか?」

「なんで?」

「いや…その…」

「…カズマ」

 なぜ自分は名前を名乗ったのだろう?
 少年に明確な理由がない事など、直ぐに見て取れた。それを理由にして走り去ってしまえば良いのに。理性はそう語る。
 けれど、それよりもずっと奥深くにある、より自分の根源だと思える何かが口を開いていた。名乗っていた。

「ぼ、僕は…」

「云わなくていい」

 少年が名乗ろうとしたのを感じ、カズマはそれを遮るように口を開いていた。

「え?」

「興味ねぇから」

 不思議そうな少年の視線に晒され、それでもカズマは口を開いた。その言葉を告げた。
 カズマの言葉に、少年は明らかに傷ついたようだった。
 だからカズマは顔を顰めた。
 少年の傷ついたその表情に、その思いに、胸が痛くなったから。

 もう、そこ居るのが辛くて。いたたまれなくて。
 今度こそ去ろうと決意して踵を返す。
 口をついて出た言葉は、またも自分を驚かせた。

「今日はもう帰る。また…逢った時に聞くから」

「また…」

 少年が繰り返す。
 たいそう驚いていることだろうが窺がえた。
 当然だろう。その台詞を発した本人でさえ驚いているのだから。

 しかしカズマはそれもいいと思った。
 だから笑った。
 どこか不敵な笑みを見せ、カズマは今度こそ駆けて行った。





 見知らぬ道を駆けながら、カズマは胸中で考えた。
 暗い路地裏だった。こんなにも綺麗なこの世界にも、こういうところがあるのだと…カズマは心のどこかで安堵している自分に気がついた。
 そして、それは自分がこのようなところにこそ安心感を覚えるからなのだと気がついて、僅かに顔を顰めた。
 そんなものから逃れたくもあって、カズマは胸中で考えた。

 なぜ、自分は名乗ったのか。
 なぜ、「また」などと云ったのか。

 これ以上はダメだと。
 これ以上関わってはいけないと。
 理性が必死に告げている。

 けれどそれよりも。
 そんなものよりもずっと強く強く。まるで心を押し上げるように訴えるものがある。
 自分の中のより深い部分が。より奥深い部分が、わくわくと高揚している。

 だから、後悔はしていなかった。

 どんな結果になっても、きっと後悔しない自信だけはあった。むしろ、自分はわくわくしている。
 これから起こるだろう予測もつかない未来に思いを馳せ、心弾ませている。高鳴らせている。
 こんな気持ちは初めてだった。
 決して不快ではなかった。

 だから、カズマは笑った。
 暗闇に、琥珀の瞳が煌いて……。




















明確な目的はなく
ただ導かれるままに

そうして僕らは出会ったのです





















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こめんと *--------------------------------------------------

 「おくび」という漢字がでてきませんでした。
 時間的には/1よりもほんの少し遡って、終わりは少し過ぎたくらい?
 なのでこちらの方が前回よりも長いです。ほんの少しだけど。
 /1の方で次へ進むためのリンクとか考えてなくて、今回どこにどうやってリンクいれようか困りました。
 小さくて見にくいですね。申し訳ありません〜。
 ご意見ご感想お待ちしております。


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