月の精霊 星の王




***ACT-2***



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「変わってるよなぁ…」

 呟く声に、紅真は顔を向けた。
 声を発したのは黒髪を短く刈り込んだ少年だった。
 歳は紅真と同じか幾分か幼い印象を受ける。大きく丸い目がそう見せるのかもしれない。

「何がだ?」

 紅真が問うと、先の言葉を発した少年は紅真に向き直って口を開いた。
 無造作に積み上げられた木の箱に、あぐらを掻いて座っている。

「だって、普通、俺たちみたいなのは地下とかに暮らしたがるもんだぜ。そっちの方が安全だしさ。逃げやすいし。なのに、紅真は一人だけマンションの最上階に住んでるじゃん。普通は考えられないぜ」

 少年の言葉に、周りにいた他の者達も同意の意を示して紅真に視線を向けた。
 周囲の視線を集め、紅真は幾分か顔を顰めた。
 そんな事は余計なお世話だとでも言いたい気分だった。

「別に。捕まるようなへまはしないさ。それに、上にいた方がおちつく」

 それだけを言い、紅真はもう口をつぐんだ。
 紅真がそうした時は、これ以上は話す気がないという意志の現れだ。
 今ここにいる者達はそのことを良く知っていたので、それ以上無駄に追求する気はなかった。皆、各々の作業に戻っていく。

 ここはとある国の大都市の地下だった。
 広く入り組んだ、迷宮のような地下の各所に、彼等のような少年達が多数暮らしている。廃棄されたトンネルのようなそこは丈夫で、身を隠しやすく、なかなかに快適な環境だった。

 今からもう随分前。悠久の時間からすれば、もしかしたらまったく時間など過ぎたと云えないほどの最近なのかもしれない。そんな頃。
 とても大きな戦争があった。
 それは多くの悲劇を生んだ無駄な物で。

 それが終わって。
 この大都市に生まれたのがここ。

 対戦以前の地下鉄やシェルターなどが壊れきれずに雑多に残って出来た地下都市。
 浮浪者や孤児たち…そして犯罪者達が集まって出来た都市だった。

 戦災孤児も浮浪者ももちろん犯罪者も、本来ならば国の施設に強制収容さてなければならなかった。
 理由は様々だ。
 犯罪者を野放しにしておくことはもちろん出来ない。戦災孤児は保護し、きちんとした教育を受けさせなければならない。浮浪者にはきちんとした仕事を提供する。衛生面の問題もある。
 悪性の病気が蔓延しない可能性は皆無ではなかった。

 新法によって、地下に無断で出入りする事が禁止された。そこで生活を営むなど問題外だ。
 見つかれば問答無用で逮捕される。刑は決して軽くはないし、それには大人も子供も関係なかった。

 それでも、そこで生活する者の数は減りはしなかった。

 彼等には、ここ以外に生活を営む場所がないのだ。
 帰る場所。
 待っている人。
 自分が存在しても良い場所がない。

 国の施設は四六時中監視される閉鎖的な空間。自由のない所。
 たとえそれが犯罪だとしても、彼等は自分の力で自分の思いと、自分の為に生きたかった。
 ひかれたレールの上を鞭をふるわれて無理矢理歩かされるのは嫌だった。

 居心地が悪い。
 肌に合わない。

 云ってしまえばそれまでだったが――。

 地下で生活を営む者たちの大半は、用もないのに地上に出ようとはしない。
 地下と地上を往復する。それこそがとても危険な行為だからだ。
 よって地下で何らかの行為を行なう者は自然と地下で生活を営むようになるのだ。

 生活の営み方は様々だ。
 地下では市(いち)まで開かれている。
 もはや地上の生活と変わる所は大して存在してはいなかった。
 食物でさえも地下の菜園施設で自給自足され始めている。
 危険を冒してまで地上に行かなければならない必要性は、もはや地下で生活を営む者達にはなかった。

 そんな中、紅真は毎日地下と地上を行き来しているのだった。

 教育を受ける機関や制度も随分変わった。
 教育は一貫してではなく、必要最低限の基礎知識さえ習得してしまえば、そこから先は各々の受けたい教養だけを自分のペースで習得していくことができる。学校という機関は希薄なものになっていた。

「…天使って…いると思うか?」

 突然響いた紅真の呟きに、彼の周りにいる者たちは一様に彼に注意を向けた。その表情も面白いくらいに同じであった。
 まるで天変地異でも起きたかのような奇妙な顔である。
 驚愕というよりは脅えだろうか。皆、心持ち腰が引けていた。

「……なんだよ」

 周囲の反応に、紅真は半眼になって言った。しかし怒りはない。自分でもらしくないと思っているし、くだらないとも思うから。

「いや…どうしたんだよ。急にそんなこと言うなんて」
「ああ。今時天使なんてなぁ」

 硬直から脱した周囲が口々に話し始める。辺りがざわつき始めた。

「別に…。ただ何となく思っただけだ。理由なんてない」

 紅真はぶっきらぼうにそう言った。
 拗ねた様に口を尖らせる彼に、周囲は再びざわつく。こんなに子供っぽい彼を見るのは初めてだった。

「ふぅ…。今日はもう帰るわ。じゃあな」

 周囲の反応に疲れたように溜息を着き、紅真は立ち上がった。そのままセピアに色づく淡い光の空間から出ていこうと、部屋の扉の元へ足を向ける。
 重く厚みのある扉の向こうには、小さな電球が並んだ暗く長い道が続いている。幾つもの角を曲がり迷宮に迷い込んだと思ったころ。更にその先に、地上と地下とを結ぶ入口の一つが控えめに存在しているのだった。

 紅真が使っている入口の一つだった。
 同じ入口ばかりを使ったりはしない。入口が見つかればそれは同時に自分の地下への出入りをも察知されたと云うことだ。一度捕まれば逃げるのは容易ではない。

 地上へ続く薄暗い通路を歩きながら、紅真は一人思いを馳せていた。
 それは昨晩のこと。
 夜空に突如として現れた白銀の髪の少女の姿。美しい藤色の瞳は愁いをおび、消え入りそうに儚く見えた。

 脳裏に思い起こされたその姿に胸が痛み、紅真は眉を顰めた。
 自分の胸が痛む理由が解らないと云うのも、彼が眉を顰めた一因だ。解らないのは胸が痛む理由だけではない。自分の気持ちそのものだ。
 それまで理解し尽くしていた自分の心持ち。信念。
 そう云ったものが、まるで全て夢の中の出来事だったかのように、酷くおぼろげで頼りないものに思えてくる。

 月色の翼を携えた少女の姿が脳裏に蘇る。
 目頭が熱くなった。
 胸が締め付けられるようで。
 呼吸が上手く出来なくなるほどに切なく。

 それはまるで心が隆起しようとせり上がって来るようで。

 ―――酷く、いとおしかった。





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 モドル