月の精霊 星の王




***ACT-6***



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「お久しぶりです、月の王」

 壱与は軽く会釈した。
 茶色の髪が流れるように揺れる。

 ここは月の王の住まう宮殿。
 白く美しい壁面、天を指すような重厚さ。そしてそれとは逆の丸みを帯びた外観は、人々に神聖さを与えて止まない。

 緑が豊かに風になびき、色取り取りの花々が咲き乱れる。
 それは外部からだろうと内部からだろうとも望め、いつでもそこに住まう者の心をなごますのだった。

「ようこそいらしてくれた。壱与殿…お元気そうでなによりだ」

「蒼志殿の方も…お元気そうで安心しました」

 壱与に云ったのは月の王――壱与が蒼志と呼んだ人物だ。今まさに彼女の前にいるその人物。
 髪の色は白銀。瞳は強く、そしてその中に冷静さと優しさをもった中年の男性だった。

「…紫苑は……どうしているかな?」

 蒼志が訊ねた。
 笑ってはいるが、とても辛そうな、哀しそうな微笑。

「…気になりますか?」

「当然だ。―――ただ一人の…・・娘のことなのだから」

 紫苑は蒼志の娘。
 つまりは月の王の正当な世継ぎだった。

 本来であれば、月の王の座には紫苑がいるのだ。
 壱与や紅真同様に。
 年齢的にも同じ三人が、本来であれば王としてそこに座っているはずであった。

「…元気…とは云えないでしょうね…」

「……」

「でも…大丈夫ですよ」

 紫苑くんは、強いから。

 壱与は弱くだが、それでも微笑んで云った。
 それに蒼志も微笑を創る。

 ここには二人しかいない。
 王の茶会。
 ただ二人の。

「紫苑くん…どんどん緋蓮様に似てきますよね」

「生き写しだ…」

 それは遠くもない日のこと。
 月の王に世継ぎが生まれる日。

 難産だった。
 とても危険な状態。
 けれど王妃は…母は子供を護りぬこうとした。
 産み落とそうとした。
 この世に…。

「紫苑くんが孤燈精霊になったのは、おそらく緋蓮様の強いご意志があったからなのだと思います」

 赤児は死産。
 母もまた命を落とした。

「王の血の影響もあっただろうな」

 強い種の魂。
 生きたいと思う心。
 生きて欲しいと願う愛。

 全てが合わさり、彼女はこの世に生を受けた。

「孤燈精霊がこんなに長く生きることじたい…異例ですから……」

 普通、死者は生き返れはしないから。
 だから、死者の生き返りともいえる孤燈精霊の命は消える間際の蝋燭の炎。 その一瞬の揺らめきのように儚い。
 すぐに終わる。

「蒼志殿は…これからどうなさるおつもりなのですか?」

 唐突に壱与が訊ねた。
 いや、それはもう随分前から訊ねようとしていたことであった。

 だから蒼志は特別驚いたりはしない。
 悩む素振りを見せることさえしない。
 もう…随分と覚悟していた質問だったから。

「…紫苑に…できれば王位を譲りたいと思っていました」

 紫苑は孤燈精霊である以外の自分を知らない。
 孤燈精霊には父も母いない。

「神は…お許しにはならないでしょう?」

 蒼志は頷いた。
 王と孤燈精霊の婚姻さえ許さなかった神が、孤燈精霊が王位に就くことを許すはずがない。

「だが、このままでは月の王がいなくなってしまう」

「再婚を神が勧められていると聞きましたが?」

「そのつもりはない」

「けれど…そんなことは許されない」

 王を永遠の寿命など持ってはいない。
 子供がいるのだ。
 王の血を引いている子が。
 王となることのできる者が。

「この世界ができてもうどれほどになるのか…。王がこんなにも長くその座位に居座っていることなど、おそらくは初めてのことだろう」

「神の…お決めになったことですから」

 蒼志が云い、壱与がそれに応えるように呟いた。
 二人の声は重く沈んだものである。
 空には晴れ渡る青空と陽の光。白い雲が流れていく。

「いつまで…縛られ続けるのでしょう?」

「……変わるとすれば…」











 絶対権力に支配され。
 争いのない世界。
 美しい世界。

 何もかもが美しい。
 全てが決められている。

 美しい世界。

 美しい……。










「変わるとすれば?」

「あなた方なら・・・できるかもしれないな」

 蒼志の言葉に、壱与はその表情を歪める。
 彼が何を云おうとしているのかが、分からなかった。

「私…達?……」

 いったい何ができるというのか。

「友人も笑わせられないのに?」

 それは彼女にしては珍しい表情だった。
 嘲笑するように歪んだ唇。
 泣きそうな瞳。

「紫苑は…あなたに救われている」


 ――貴方があの子の…私の娘の友人で良かった――


「……」

 強い…少女の瞳から、涙が一滴落ちて流れた。










 私には何ができるのか。
 この世界の真の姿を知っていて。
 私はただそこに佇んでいるだけ。

 私がいて…何が起こるというの?
 何が変わるというの?













「それは…私の台詞です」

 ――彼女の親友になれて…良かった――

「私は、彼女の笑顔に…その存在に救われました」

 強い少女の瞳から、一筋の涙が零れて流れた。
 ―――美しい微笑を形作る頬を…伝いながら……。











 彼女だけが、本当の私を見つけてくれた……。










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 モドル