桜…朝黄






空が蒼く染まり始めれば朝










 桜が咲くように。雪が降るように。冷たい風にさらされてもなお、人は歩き続けた。寒風を自ら生み出し、春を遠ざけ、暖をとるための陽光さえも遮り、灼熱から身を守る大地を砂に変えながら。
 人は歩き続けた。
 様々ものをむりやりに引きずり起こしていきながら、その重みに汗を流しながら、苦しいと辛い心で叫びながら、それでも立ち止まらず。引き摺るそれを捨てることもせず。得たものを決して手放すことができぬままに、歩き続けたのだ。





 がらんとした店だった。崩れた廃屋は、三年経った今もまだそのまま。復興作業の遅れは明らかだった。
 物資は圧倒的に足らなかったし、人手もない。集めれば人手はあるのかもしれなかったが、彼らを働かせるための資金がなかった。食料も不足していたし、何より大地が足らなかった。
 いつの時代もそうであるが、どんなに無いと叫んでも、あるところには有るものだ。ここもそんな「あるところ」の一つだった。

「人の来ないお店に貴重な物資が大量入荷って、不経済じゃない?」
「誰が売るといった」
「恵み分け与えようとは思わないわけ?」
「まったく思わんな」

 少女と少年の会話だった。
 埃が雪のように舞うその店のカウンターに座る少女の名は壱与。彼女からだいぶ離れた3、4人掛けようの円卓に両足を乗せてくつろいでいる少年が紅真。この店の常連だった。
 二人は会話をしていたが、互いに好意的ではない。けれど険悪でもなかった。淡々としている。
 壱与の手にはオレンジジュースの入ったコップ。紅真の手には輪切りの檸檬の浮いた蒸留水。それぞれがお決まりとして選ぶメニューだった。

「お酒でも飲みそうなほど、ガラが悪いのにね〜」
「未成年者の飲酒は禁止されてただろ」
「法律を守らせるのって難しいものなのよ」
「禁じられるとやりたくるのが人の性だ」
「法律すれすれで荒稼ぎしてる紅真君がそれでも法を破らないのは忍耐の為せる業(わざ)?」
「禁じ手を破るのは簡単でつまらなねぇ」
「他の人にも言ってあげて」
「なんでわざわざ商売敵を作る必要があんだよ」

 壁にかけられた振り子時計が十七時を告げる。壱与が腰を上げた。

「そろそろ帰らなきゃ」
「死なないようにな」
「心配してくれるなら送ってよぉ。レディに対して当然の行為でしょ」
「お前が死んだら死んだで俺は困らない」
「次の王様は私みたいに寛容じゃないかもよ〜」
「てめぇみてぇな狸よりはマシかもしれないぜ」
「私の周りはそこまでバカばっかりじゃないわよ」
「お人好しが多いけどな」
「む〜…それ、紫苑くんにも言われた台詞」

 紅真が軽く笑った。苦笑と嘲笑の混じったような笑いだった。

「そろそろ教えてよ。紫苑くん、どこにいるの?」
「……」
「紅真君っ」
「…西。日向の北にある小せぇ集落だ。五月雨ってとこで「黄鳥(こうちょう)」って呼ばれてる女がいる」
「黄鳥?」
「ここによく似た内装の、こことは大違いに客の多い酒場の歌姫だ」
「ああ、それで「黄鳥」ね」
「そういうことだ」

 紅真が檸檬水に口をつける。壱与は眉根を寄せて不満そうな顔を作った。

「紅真くんは、その黄鳥…さん?から、紫苑くんの居場所を聞いたんじゃないの?会ったんでしょ?そっちを教えてよ」
「企業秘密」
「ケチ」
「商売人の鑑だろ」
「なんか使い方間違ってる気がする…」
「政治屋がとやかく言うことじゃねぇよ」
「本当の商売人の鑑に怒られても知らないから」
「俺より稼いでる商売人がいたらそいつを手本にするさ」
「価値観が単純でいいね〜」
「うだうだ考え込んでるよりずっとな」

 カランと乾いた音が響く。店の扉が開かれた証だった。

「レンザくん。迎えに来てくれたの?」

 木製の扉の前には黒髪黒目の青年が立っていた。口をへの字に曲げて紅真を睨みつけている。美男子ではないが、強い意志を秘めた瞳は壱与や紅真にも劣らない。
 見せの奥へ足を踏み入れようとはせずに、扉のすぐ横の壁に凭れ掛かる。その体勢から壱与が用事を済ませるのを待つつもりのようだと知れた。

「ごめん、レンザくん。もういいよ。――じゃあね、紅真くん」

 小走りでレンザへと向かい、最後に顔だけを振り返って扉を閉める。
 紅真は視線さえ返さずに、ただ目の前のグラスを揺らした。檸檬の酸味が微かに香った。





「壱与さん―――やっぱり、あいつを信用しすぎるのはよくないんじゃ…」
「う〜ん。大丈夫だと思うけど」
「紫苑に対してはそう言い切れるんだけどなぁ」
「あはは。その点は誰に聞いても同じ答えが返ってくるわよね。でもまあ、紅真くんって、根はまっすぐだから」
「直情直進型?」
「そう。紫苑くんと一緒」

 二人は雑踏の中を歩いていた。人々の話し声という騒音は何よりも大きい。自然、二人の声も大きくなっていた。

「今日はこのまま日向へ行くね。悪いけど、もうちょっと付き合って」
「壱与さんに付き合えるのならどこへでも」
「ふふ。ありがと」

 日向は邪馬台国の西地区でも最西を示す呼び名だ。その名の通り、日が向かうからそう呼ばれていた。夕焼けをもっとも美しく見ることができると評判だったが、あいにくと壱与はまだ一度もそれを見たことがない。

「日向のどこです?」
「北の五月雨って集落だって紅真くんが」
「そこに紫苑の奴が?」
「ううん。紫苑くんを知ってる人がいるみたい。黄鳥っていう歌姫だって」
「歌姫?」
「知ってるの?レンザくん」
「いや…そういえば、紫苑の奴も歌がうまかったなと思って」
「…うん。そうだった」

 邪馬台国は小さい。それでも、日向へ徒歩で行くには一日では無理だ。そこで、二人は「虹」を使うことにした。虹は一言で云えば空間を転移する技術だ。集落ごと、あるいは町ごとの役場に設置されている。
 空間を転移したい人物を包み込むように、その人物の周囲からまるで蔦が伸びるように七色の光りが地面から伸び、遺伝子の如き螺旋状に絡まり覆う。淡い光に包まれて目的地へと運ばれるのだが、壱与もレンザもその詳しい仕組みまでは知らなかった。彼らの知識の管轄外だからだった。

「紅真くんなら知ってそう〜」
「どうでもいいことばっかり知ってやがるからな〜あのガキは」
「それ聞いてたら紅真くん怒るよ〜」

 軽い談笑。
 二人は五月雨へ辿り着いた。





 黄鳥はすぐに見つかった。というか、試しに五月雨の役所の役人に尋ねたところ、一発で所在がつかめたのだ。
 その役人は聞いてもいないのに、黄鳥の歌のすばらしさ、容姿の美しさについて唾を吐き出さんばかりの勢いで熱心に話してくれた。…どうやらファンらしい。

「ここが「天使の眠る樹」ね」
「幻想的な名前のわりには、随分と崩れたというか廃れたというか…」
「紅真くんが「似てる」っていうわけだわ」

 薄汚れた日干し煉瓦作りのその建物は地下にあった。大通りから外れた脇道の、建物と建物の間に、その店への入り口となっている下り(くだり)階段がある。そうたいして段数のない階段を折りきったところに、木製の扉があり、それが正真正銘の出入り口であった。

「あんたら見ない顔だねぇ。この店へは始めてかい?」

 込み合った店の中で運良く開いている席を見つけて腰を下ろす。そこは出入り口から入って右手にあるステージからはもっとも離れたところにあった。ステージの周りの席はすべて埋まってしまっている。席につけずとも、間近でステージを見たいのだろう。周囲には立ち見客が溢れていた。立っているものも座っているものも、みなが手に手に酒の入ったグラスを掲げ、顔を火照らせている。
 壱与たちに話しかけてきたのも、そんなふうに酒の入ったグラスをもち顔を心地よさそうなほろ酔いに火照らせた男だった。

「ええ。歌姫の評判を聞いてきたの」
「ほぉ、有名になったもんだ。この間も、あんたらくらいの若造が歌姫を見に来たっていってきててな」
「あっ、その子って、赤い目の?」
「なんだ?知ってるのか」
「ええ、私たち、彼に聞いてきたの」
「ほお、そりゃ嬉しい。あんたたちも広めてくれよ―――って、あんまり客が来過ぎたら、今度は俺が歌姫を拝めなくなっちまうな」

 男が笑い、周囲がざわめいた。
 男は笑いを止めて、ステージを指す。

「おっと、歌姫のご登場だ」

 ざわついていた店内が幻であったかのように静まり、ゆっくりとステージ上に一人の少女が姿を現した。
 白いロングドレスに身を包んだ、儚げな印象の少女。役人の話では「朧月」などとも呼ばれているらしい。髪とドレスと白い肌。ライトに照らされたその姿は、その呼び名の通りに淡く輝いて見えた。

「紫苑…くん……?」

 店内に流れ出した歌声に、壱与の呟きは掻き消された。










炎が翔ける様はまるで死兵








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 希望は全六話で終結(理由がわかる人にはわかりますね)。構想はまったく無しですが。
 黄鳥は初め、本当にオリキャラ出すつもりだったんですけどね〜。酒場の歌姫で姉御肌な感じの。でも話が終わらなくなりそうだったので…中止。
 ご意見ご感想ありましたらぜひお寄せ下さいです---2004/01/10

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