+ 幻想リフレイン +






 あの時見た光と影は、今でもその瞳の中にあるのだろうか。
 ――確かめずにはいられなかった。


 5.Eternal Blue


 格納庫では、なおも少年少女たちの言い合いが続いている。
「もう、さっき決まったじゃない! キラを迎えに行くのは、私と……」
「俺だろ?」
 ……訂正。約一名、どう頑張っても少年とは言えない人も混じっている。
「仕方ないよな? 彼女はポッドの操縦なんか慣れてないし」
「フラガ大尉は運転役で、私はサポートよ!」
 何をサポートするのかという問いは、この際置いておく。
「……ったく……ミリアリア、ジャンケン強すぎるよ……」
「だよな。俺なんてほとんど勝ったためしねーもん」
 彼氏のため息も、彼女の耳には届かない。
「おーい、もうすぐ目的地だとよ!」
 マードック軍曹が、艦内通信を終えて大声で告げた。
「んじゃ、ボウズをお迎えに行きますか」
 フラガがポッドの方へ歩き出した時、甲高い声が格納庫に響き渡った。
『トリィ!』
「……あれ、キラの」
 ぱたぱた飛んで来た黄緑色の鳥ロボは、ミリアリアの頭の上をくるくると旋回してしきりに鳴きたてる。
「コイツも、ボウズを迎えに行きたいってか?」
 フラガが言えば、トリィはその通りだと言わんばかりに、今度は彼の周囲を飛び回り始めた。
「……そうだね。キラ、あんなに大事にしてたんだもん。きっと喜ぶよね」
 ミリアリアは、トリィに向けて手を差しのべた。
「おいで。一緒に、キラを迎えに行こう」


『――おまえは、今でも死を望むか?』


 不意打ちだった。
 ――どうして、彼にはそれが分かったのだろう。
 キラの表情から疑問を察したか、イザークは面白くもなさそうに眉を寄せる。
「分かりやすい奴だな」
「……どうして」
「元は同じ地球軍のMS同士だ。――そう言えば分かるか?」
 そう言うと、キラは理解の色を浮かべる。
「……通信、傍受してたんですか」
「仮にも、俺のデュエルの右腕を吹き飛ばした奴だ。どんな面構えの奴なのか、拝んでみたくなっても罰は当たるまい?」
 案外根に持っているのかと、キラが危惧したら、それを吹き飛ばすかのようにイザークは盛大にため息をつく。
「まさかこんな天然なお子様とは、思いもしなかったがな」
 あなたいくつですか。
 そう言いたくなったが、それは水際でせき止める。
「……どうして、僕が死にたがってるなんて、思いついたんですか」
 代わりにそう問えば、イザークは処置なしといった表情で肩をすくめる。
「自覚がなかったのか?――落とされる寸前の奴と同じ目をしてたぞ」
「落とされる寸前……?」
「死を目の前にして、絶望しながらも覚悟を決めた奴の目だ」
「…………!」
 言葉に詰まるキラの顔を斜に覗き込み、イザークは唇を歪める。
「アスランのために死ぬなら、本望とでも思ったか?」
「……僕は……結局何も選べなかった」
 目を伏せて、絞り出すような声音でキラは呟いた。
「地球軍には友達がいて……ザフトには、アスランがいて。――両方を望むなんて、今の状況じゃ無理だって、頭では分かってても……選べないんです。どちらかを……切り捨てなきゃならない。守りたい友達と、隣にいたい人と……どちらかを優先しなきゃ、いけないんだって……分かってても、選べない。――選びたくなかった!」
 唇を引き結び、歪む顔。
「……どちらかを選べば、どちらかを裏切ることになる」
 ――『裏切り者』。
 その言葉が苛むのは、選べない二択に引き裂かれかけたココロ。
 だから、いっそのこと選ばなければいいと思った。
 どちらも選ばずに消えてしまえば。
 そうすれば……楽になれると。
「……僕はただ、逃げただけなんだ」
 守るべき人も、かつて隣にいた人も、何もかも放り出して。
 結局、すべてを裏切ることになってしまった。
 浮かんだ自嘲するような微笑は、多分ここ最近覚えた笑い方。
 ――ヘリオポリスにいた頃は、偽りの平和を疑いもしていなかった。
『オーブが戦場になるなんてことは、まずないって』
 トールのあの言葉は、自分の中での常識でもあった。
 あそこにいる限り、戦争とは無縁だと。
 戦争はあくまでも、自分たちの外の世界の出来事だと。
 そう、思っていたのに。
 平和な箱庭は、あの時に壊れた。
 そして自分は、外の世界の出来事だったはずの戦争に身を投じ、ガンダムに乗って最前線に立っている。
 しかも敵陣には、過去を共にした無二の親友――。
「……僕は、ヘリオポリスの友達を裏切りたくなかった。――でもそれは、アスランを裏切ることで……今度は、自分で守ると決めた友達まで、裏切ってしまった」
 あの一瞬、確かに自分は、何もかもを捨てたから。
「『裏切り者』って言われても、仕方ないですよね」
 切なげに揺れた紫暗の瞳が、伏せられる。
 イザークの切れ長の双眸が、さらにすがめられた。
 疲れたように息をつき、キラは傍らの木にもたれかかる。そしてそのままずるずると、崩れ落ちるように腰を下ろした。
「――昔」
 視線をさまよわせたまま、ぽつりと洩らされた一言に、イザークは目を向けるだけの返答をよこす。その彼の目に視線を合わせた瞬間、キラの目が何かを見つけたように和んだ。
「月にいた頃。よく、アスランと話してました。――いつか、地球に行きたいって」
「地球? ナチュラルだらけの、しかも今は廃れつつある星だろう」
「でも、あそこは人の生まれたところだから」
 ふわりと綻んだその表情が、彼本来の笑い方なのだろうか。
 取りとめもなくそう思いつつ、イザークは言葉の続きを待つ。
「見てみたかった。僕たちの遠い祖先が生まれた星から、僕たちが育った星を」
 あの蒼い惑星(ほし)は、数え切れないほどの偶然の奇跡をもって、自分たちの祖先をこの世に送り出したのだと。
 いつかの授業でそう聞いてから、一度でもいいからこの目で見たかった。
 月から見るのと同じであろう、その蒼い空と海。
 自分の育った月と、絶妙なバランスを取りながら、何十億年も前から在り続けたその星を。
「……あなたの眼は、空の色に似てますね」
 キラの言葉に、イザークは一瞬反応を選び損ねてまじまじと彼を見返してしまった。
「……いきなり何を」
「アスランの眼は、海の色に似てる」
 歌うように、キラは続ける。
「……見てみたいな。一緒に」
 哀しげな影に彩られたように見える、そのかすかな微笑と共に偽りの空を見上げるキラの瞳は、それならば――。
 ややあって、相応しい情景が見えた。
 暁以前、もしくは夕暮れから夜に移行する刹那の、あの空の色。
 限られた一瞬しか見ることのできない、稀少の彩。
 外から見る分には、変わらず蒼い姿しか見せないあの星は、中に入れば数限りない表情を、色を見せるという。
 しかし人類は宇宙へ飛翔するのと引き換えに、それを目にする術を失った。
 ――だから人は、例え偽りでも空や海を造るのか。
 宇宙へ飛び出し、重力の鎖から解き放たれた今でさえ、あの星の色に惹かれている。
 目の前の、この少年のように。
 イザークは、改めてキラを見て。
 ……そして、気づいた。
 その、瞳の光に。
 宇宙で垣間見た時の、暗い光は今はなく――。


「……おまえ」
「……はい?」
 首をかしげるようにこちらを見上げた少年に、イザークは問いかけようとしてらしくもなく言葉に迷う。しかし、すぐに口を開いた。
「あの時アスランに、何を言いかけた?」
 一瞬虚を突かれたような表情になったキラは、しかしすぐに、柔らかく表情を緩める。
「……もう、言うことはないです」
「何故だ?」
 問えば、刹那の色を閉じ込めた瞳が細められた。
「出会えた後に、別れの言葉なんていらないでしょう?」
 その答えに、イザークは自分の考えに確信を持つ。
 もはやこの少年は、瞳にあの時見た光と影を宿すことはないだろう。
 その代わりに、もっと強く、揺るぎない光をその双眸に宿して――。
「――道理だな」
 イザークは、つり上げた唇に呟きを乗せた。


 歌姫の歌は、すべてを導く。
 すれ違うはずだった少年たちも、その想いも。


 そして、別れの瞬間さえ。


 コロニーに降り立ったフラガとミリアリアは、道路を見渡し、一台のオートタクシーを見つけて乗車位置へと走った。どうにか捕まえて乗り込むことに成功する。
「キラが入院してる病院って、ここから近いんですか?」
「さあ? だが行き先が分かってんだから、あとはコイツに連れてってもらうさ」
 フラガが、オートタクシーの車体を軽く叩く。行き先をインプットすると、タクシーは滑るように走り出した。
「……キラ、大丈夫かな……」
 ぽつりと洩れたミリアリアの呟きに、フラガは少し眉を持ち上げる。
「あんな爆発に巻き込まれて……帰れるのかな、アークエンジェルに……」
「帰って来てもらわんと、こっちが困る」
 おどけたようなフラガの答えに、ミリアリアは細い肩を精一杯いからせた。
「でも!――また、ザフトが来たら……また、キラが戦うことになるじゃないですか……!」
 自分の命をかけてまで、彼が守ろうとした人。
 そんな人がザフトにいるのに、キラはその人と戦わなくてはならない。
 しかも今は、入院するほどの怪我を負って。
 そんな状態で、また戦えというのか。
 だが、フラガは軽くいなすように両手を広げる。
「そうだな。あの艦には、俺以外にはボウズしか戦える奴はいない」
「そんなの……!」
「事実だろ?」
 軽い口調ながら、彼の言葉は重い。
「さらに言えば、俺一人じゃガンダム四機の相手は荷が重過ぎる。あいつの存在は、俺たちには必要不可欠だ」
 たった一機のストライク。それは、彼らにとって戦力であると同時に希望でもある。
 そして、それを唯一操れるキラも然り。
 だが――。
「……私は、そんな風にキラを見たくないんです」
 必要な存在であることは本当。しかし、自分たちにとってのキラの存在意義は、戦力などでは決してない。
 たいせつな、ともだち。
「みんなだって、きっとそう。――キラは、友達だから大切で、だから、なくしたくない。戻って来て欲しいんです!」
 ミリアリアの瞳が揺れた。
 自分たちを守るために、望まぬ戦いに身を投じる彼。その背中がどんなに痛々しくても、他の誰も代わってはやれないから。
 キラにしか、できないこと。ストライクに乗ることはそう見なされ、事実その通りだから。
 もう何度、戦場に向かうその背中を見送っただろう。
 オペレーターとしてブリッジに入るようになってから、キラの戦う様子がよく分かるようになって、余計に辛くなる。
 彼の優しすぎるほど優しい性格を、よく知っているから。
 それなのに、その彼がストライクで前線に立たなければ、自分たちは生き残れない。
 皮肉にも程がある、現実。
「私たちだって、キラを守りたいのに……!」
 泣き出しそうに顔を歪めるミリアリアに、フラガは目を細めた。
(――ボウズ。おまえ結構幸せ者だぞ)
 こんなに、彼を思う人たちがいる。
 平和な箱庭の中だけの友情ではなく、戦場にあってさえ、その思いは強く眩しい。
 子供たちの、甘っちょろい感傷だと切り捨てるには、あまりにも強く真っ直ぐな思い。それはきっと、あのお人好しな少年の支えになることだろう。
「だったら、それがおまえたちの価値だ」
 ぽんと頭を叩かれて、ミリアリアは怪訝な顔になる。
「価値……?」
「ボウズが命張って守るだけの価値があるってことだよ。――ザフトには、あいつと同じコーディネイターがいる。知り合いもいる。ボウズにとっちゃ、戦うのが辛い相手だ。だがそれでも、おまえたちがいれば、あいつは救われる。戦って守るだけの価値のあるもんだと、思えるからな」
 守るものがある人間は、強いと。そう言ったのは、どこの誰だったか。
 いつかどこかで聞いたようなその言葉は、哀しいほどに皮肉なこの運命を彩る。
「戦う理由になれとは言わない。だが、あいつが自分の選んだ道を、後悔しない理由にはなれるだろう?」
 戦わせるための足枷ではなく、前を見据えるための道標であれるように。
 あの優しく、そしてどこか脆い少年に、自分の選んだ道が間違いだなどとは思って欲しくない。
 だから、彼らに託すのだ。
 キラのあの心を、どうか優しいままで留めておいて欲しいと。
 必要なのは、正義でも主張でもない。そんな移ろいやすいものなど、いらない。戦争という名の混沌の中では、そんなもの簡単に翻る。
 本当に必要なものは、揺るぎない『何か』。
 例えばそれは、この少女の体現する『友情』であったり。
 ……キラの過ぎるほどの『優しさ』であったり。
 結局のところ、自分も大分あのボウズに肩入れしてるらしい。
 そう考えて、フラガは小さく笑いをこぼした。
「……なれますか、私たち? キラの『後悔しない理由』に」
「ん、まあがんばれ」
 ひらひらと手を振って、居眠りでも始めそうな体勢のフラガに、「もう!」とまた肩をいからせて。
 それでも、少し気分が晴れたような気がするミリアリアだった。
 ――目的地まで、あと少し。


 ドリンクバーから、適当にチョイスした飲み物を抱えて戻ったアスランとニコルは、キラが木の根元に座り込んでいるのを見て顔を曇らせた――いや、約一名顔色さえ変わっている。
「どうした、キラ!」
 せっかく買って来た飲み物を放り出しかねない勢いのアスランに、キラは慌ててかぶりを振った。
「大丈夫だよ、ちょっと座ってただけだから!」
「疲れたんじゃないか?」
「大丈夫、ちょっと――空を見てただけ」
「空?」
 見上げれば、そこには確かに、抜けるような蒼い色があるが。
 それは所詮、偽りの空。
 それでもキラは、そこに何かを見ていたのだろう。
 アスランは視線を戻し、飲み物のボトルの一つを器用にキラに渡す。
「……はいこれ。キラは確か、炭酸ダメだったよね?」
「……ありがとう。よく覚えてるね、アスラン」
 オレンジジュースを受け取り、こくこくと呷って、キラは表情を綻ばせる。
(――何だか、幼年学校の頃に戻ったみたいだ)
 あの優しく、幸せだった時間の中に。
 あのまま、何も知らずにいられれば、どんなに幸福だったことか。
 しかし、時代は容赦なく穏やかな時間を奪い、望みもしない戦争の断片を振りまいて。
 挙句の果てに、自分は決して後戻りできない道に踏み込んでしまった。
 ――それなのに、突然こんな風にぽっかりと、無くしたはずの穏やかな時間がやってきて。
 もう隣には立てないと、絶望した親友が、こうしてすぐ近くにいて。
 ……だから、望んでしまう。
 もう少し、あと少しだけでもいいから、この幻に浸っていたいと――。
「……キラ」
 不意に呼ばれた名に、キラは顔を上げる。アスランの、真剣な眼差しにぶつかって、その瞳の色合いに思わず息を呑んだ。
 そして次の瞬間、目を見張ることになる。
「キラ、ザフトに来ないか」
「アスラン!?」
「もういいだろう、キラ。これ以上、戦争なんかに身を投じる必要が、どこにある?――今のこの状況なら、おまえが見つからなくても不思議はない。地球軍の艦に戻ることなんか、ないんだ」
 もういい、と思う。――もう、キラがこれ以上、心身ともに傷つく必要などないと。
 あの時離した手を、もう一度掴むまでに、こんなにも時間がかかってしまった。もう永遠にその時は来ないかもしれないとすら、思ったこともあったのだ。
 だから、今度こそ。
 あの頃のように、もう一度彼の隣に――。
 かがみ込んでキラの肩をそっと掴み、アスランは言いつのる。
「友達が心配なら、後で連絡を取ることだってできる……だから、キラ。もう、これ以上……戦うな」
「……でも……」
 キラの脳裏に、友人たちの顔が、そして今までの戦いの情景がよぎる。
 ましてや眼前には、ついこの間まで命のやり取りすらしていた相手だっているのだ。
 しかし彼らは、何も言わずにただ、こちらを見ている。
 アスランの言葉にこそ、一瞬瞠目したものの、口は挟まずに、ただ見守って。
 それが、つらい。
 いっそ「ふざけるな!」とでも怒鳴ってくれれば、自分はきっとアスランの言葉を退けただろう。それしか、選べないから。
 けれど彼らは、ただ見守るのみで。
 促しているのだ。
 自分の意思で、選べと――。
(……何を、選べばいいっていうんだ)
 アスラン?
 友達?
 自分は、どちらを――。
「……僕、は……」
 奥歯を噛みしめて、選べない二択を前に途方に暮れて。


 しかし息詰まるような沈黙は、意外な声に破られた。


『――トリィ!』


「…………え?」
 聞き間違いではなかろうかと顔を上げたその頭に、さも当然のような顔をして下り立った黄緑の鳥に、キラはもちろんアスランやイザークたちでさえ、視線を張りつかせたまま固まった。
「キラ……それ」
 呆然と、アスランが口を開く。トットッと、器用にキラの頭から肩へと移動したトリィは、彼のお手製だ。忘れようはずもない。
「うん、トリィだよ。――あの時から、ずっと一緒にいる」
 そう答えてから、キラははっとした。
「……アークエンジェルから……誰かが来たんだ」
「何だって?」
「戦闘の時は、アークエンジェルに残して来たんだ。でも、ここにいるってことは……誰かが、トリィを連れてここに来たんだ」
「アスラン」
 緊張した面持ちで、ニコルが周囲を見回す。今のところ、それらしい姿は見えないが、のんびりしてはいられない。
 彼の言わんとすることを察して、アスランはキラを促して立ち上がった。
「時間がない……一緒に、来るんだ」
 差しのべられた手を、キラは呆然と見つめる。
「キラ!」
 強い口調に、瞳が揺れた。
『トリィ』
 アスランのくれたトリィが、頬に頭をすり寄せる。
(……僕は……!)
 唇を引き結び、キラは目を伏せた。


「……僕には……どちらかを選ぶなんて、やっぱりできない」


 呟いて、キラはアスランの腕をそっと掴んだ。
「……アスランは、強いよね」
「キラ?」
「……だから、死なないで。――この戦争が終わるまで、生きてて」
「キラ、何を――」
「僕も、死なない」
 顔を上げたキラの、その瞳の光に、今度はアスランが息を呑む。
 揺るぎない、光。
 それはきっと、覚悟ではない。
 しかし――定まった意思はもう、翻ることはない。
「この戦争が終わるのを、見届ける。それまで、僕は生き延びてみせる。だから……」
 ふわりと、こぼれた笑みは、あの頃のままの彼だった。
「そしたら、一緒に地球に下りよう」
 その言葉に、いつか交わした言葉がよみがえる。


 ――いつか、行ってみたいね。あの惑星(ほし)に――。


 過去に焦がれた、あの蒼い色。
 そして、唐突に悟る。
 この偽りの空に、キラが見たもの。
 ……それはきっと、あの蒼い星。


 キラは、見守っていた三人に向き直った。
「……あなたたちも、生きててください」
「……何故だ?」
 イザークが、空の色を映した瞳をすがめれば。
 キラは、微笑った。
「……だって、皆で見たいじゃないですか。――本当の、空の色」
 ――『あなたの眼は、空の色に似てますね』――。
 不意に、その言葉が脳裏をかすめた。


「……これが、僕の答えだよ。アスラン」
「答え……?」
「僕は、両方を選ぶ。――今は、行けない。でもいつか、君の隣に帰りたい」


 そう言って、アスランの腕を放したキラは。
 そのまま、踵を返した。
「――キラ!」
 アスランの伸ばした手は、しかしわずかに届かず。
 その背中はあっさりと、人の波に呑み込まれた。
 しばし立ち尽くしていたアスランは、やがて振り返る。
「……行こう」
「アスラン?」
「地球軍の人間がいるんだ。鉢合わせはごめんだからな」
「いいんですか、アスラン、彼は――」
 言いかけたニコルを、アスランは手で制した。
「……生き抜けばいいんだ。最後まで」
 そうすれば、彼は自分のもとに帰ってくると。
 確かに、そう言質を取ったのだから。
 この戦いが、例えどんな結末を迎えようとも。それを、生きて見届ける。
「……ふん、そういうことか」
 イザークが、唇を歪めて踵を返す。物問いたげなディアッカの視線に、彼は答えた。
「こいつのところに戻るまで、地球軍のためには死なんということだろう?」
「は……愛されてるじゃねぇか、アスラン?」
 そう一言、ディアッカもチームメイトにならって身を翻す。
「……それで、いいんですか」
 彼らの後を追おうとしたアスランに、ニコルが問う。アスランは、軽く肩をすくめた。
「あいつは半分、俺を選んでる」
 それは、確信。
「なら、最後まで生き残れば、あいつは確実に俺を選ぶ」
 もちろん、こちらへ引き寄せる努力も怠る気はないが。
 今は、遠く離れていたその指先を掴んだ、それだけで――。


 ……そしていつか共に、あの蒼い星に下りよう。


 歩き始めたアスランの耳をかすめた、優しき歌姫の声は、高く高く、蒼い色をたたえるスクリーンへと舞い上がっていった。


 病院から公園の場所を聞き、そちらへと足を向けたミリアリアとフラガは、いつの間にか消えていたトリィに頭を痛めていた。
「参ったなぁ、どう言い訳するか……」
 フラガがそうぼやいた時、ミリアリアが人垣の頭上に目をやって目を見開いた。
「いた!」
 ぱたぱたとはばたく黄緑の鳥は、ついとこちらへ飛んでくる。
 そして、それを追うように、人垣がかき分けられた。
「ちょっ……トリィ、待って――」
 ……捜し続けていたものを目の前にした時、人というのは。
 とっさには、動けないものらしい。
 一瞬凍りついてしまったミリアリアは、しかし次の瞬間、弾かれたように駆け出していた。
「――キラ!!」
 彼女の声に、顔を跳ね上げたフラガも、遅ればせながら地面を蹴る。
 自分目がけて殺到してくる二人に、キラはぎょっとしたように足を止めたが、すぐに笑みを浮かべて彼らを迎えた。
「もうっ、キラの馬鹿ぁ〜! 心配したんだから!!」
 飛びつくが早いか、細い肩をいからせて食ってかかってくるミリアリアに、キラはおたおたしながらも謝る。
「……ごめん」
「もういいよぉ……良かった、見つかって……」
 泣き出しそうに瞳を潤ませる彼女に、さらにうろたえたところへ、フラガがぽんと頭を叩いてくる。
「ずいぶんと思い切ったなぁ、ボウズ」
「……すみませんでした。迷惑かけちゃって……」
「いいってことさ。生きててくれて何よりだ」
 ぐしゃぐしゃと髪をかき回されて、思わず口を尖らせる。しかしそんなことで彼に堪(こた)えるはずもないので、諦めてため息をついた。
 ……こんなに、自分を思ってくれる人がいる。
 だから、今すぐにアスランの手を取ることはできない。
 でも――。


「……僕は、戦争が終わるまで死なない」


 ぽつりと呟いた言葉に、フラガが手を止めてこちらの顔を覗き込んでくる。
「ボウズ?」
「……何でも、ありません」
 そうか、とうなずいて、彼は公園の出入口を親指で指す。
「とにかく、病院へ戻って……ボウズ、怪我は重いのか?」
「いえ。――戻れます」
「なら、退院の手続き取れるな? 早いトコアークエンジェルに戻って、顔見せてやれ。おまえの友達なんか、気が気じゃないって顔してたぞ」
「――はい」
 うなずくと、フラガはキラを追い抜きざま、ぱんと後頭部を叩く。
「……さっきの言葉、忘れるな」
 最後まで、生きていろ。
 言外の意を汲み取って、キラは顔を上げた。
「はい」
 そして彼の後を追い、歩き始める。


 どちらかを選べないなら、両方とも選べばいい。
 戦うための鋼の翼は、未来へはばたくための翼に変えて。


 そしていつか君と、あの蒼い星に下りられればいい。




 艦内に、響くアラーム。
「総員、第一戦闘配備!」
 マリューの声に、ブリッジの空気が張り詰める。
 リニアカタパルトに接続されたストライクのコクピットに、ミリアリアの声が流れる。
『キラ、ザフトはイージス、デュエル、バスター、ブリッツが出てるわ』
 ヘルメットのバイザーを下ろし、キラはモニターの中の宇宙を見据えた。
 ――いつか見た、あの惑星(ほし)。
 今自分は、その遥か上空にいるけれど。
『進路、クリア! ストライク、発進です!』
 ミリアリアの声に、キラは操縦桿のグリップを握りしめた。
 ――いつか下りる、あの惑星。
 永遠にも等しい、その蒼の中に。


 シグナルがグリーンに変わり、キラは前を見据える。




「キラ・ヤマト!――ガンダム、行きます!」




 ――END――











----+
 はづき様よりあとがき +-----------------------------------------------

 あとがき……と書いて言い訳と読みます。
 ああ……終わった。
 こんな長ったらしい話を読んでくださって、ありがとうございます〜……。何かもう、書いてて精魂尽き果てた感じです。ちなみに時間軸は、11話以前というコトで。もう本編はさらっと無視の方向で(爆死)。
 各話のサブタイトルには、ちょっとした意味を込めました。1は爆発の閃光、2は心の闇、3はキラの瞳の色で4はザフトの軍服をイメージ。そして5は、地球の色、空と海の色です。
 ……ホントは白、紫、紅、蒼でしめるつもりが、意外と長くなって黒が入っちまいました(汗)。
 でも書きたいフレーズは残らず入れられたので密かに満足(笑)。
 タイトル「幻想リフレイン」は、無くしてしまった穏やかな時間を「束の間の幻想」という形で「もう一度」という意味を込めたんですが……伝わるかなぁ(汗)。
 しかしまあ、回が重なるごとに別人度が増してるよ……今に始まったことじゃないが(滝汗)。
 ともあれ、最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

-----------------------------------------------------+ 感謝の言葉 +----

 こちらこそ、どうもありがとうございました。はづき様から頂きました幻想リフレイン最終話ですvv
 はづき様のすてきサイト「TWICE REVIVAL」へはここから跳べます。
 まず云うべきは謝罪の言葉かと…(汗)せっかく頂いていながら、こちらの諸事情によりUPするのがたいへん遅くなってしまいました。申し訳ありませんです。本当はもっと早くにUPしたかったです(泣)読むだけは一人で読んで嬉しさに悦っていましたが(笑)
 各タイトルにこめられた意味。大丈夫です。きちんと素敵に伝わっています。もちろん、タイトルだけからではなく、内容全体からあますことなくです。
 最後のキラの出した答えが、とても前向きで強くて。読みながら、勇気を与えられるようでした。戦争という非常時の中にありながら、それでも変わらぬものがある。キラの「優しさ」。ミリアリアたちの「友情」。変わらぬ何かによって、人はいつだって強く進むことができるのだと感じました。
 素晴らしい小説を、本当にありがとうございました。

----+ back top end +------------------------------------------------