+ 其は眠りにつき  第五…「-rei-其は心冷やし深淵に沈み」 +









「劉鳳、なぜ自分からそんな危険なことをしようとするの。悲しいことをしようとするの。私は、あなたにいつも教えてきたと思っていたわ。アルター能力者だから危険だなんて。そんなことはないと…そんな考えはとても悲しいことだと…それを誰より知っているのは、劉鳳。あなた自身でしょう」

 危険であるかそうでないかは、その者の心の持ちようである。だが少なくとも、アルターは危険な力となり得る。そのことは、曲げようのない事実。
 狂った大地で狂った世界に囲まれて、狂った大人が育てた狂った社会で生きる子供が、どうして狂わずにいられようか。

 彼女は、それでも、生き抜こうと必死だった。


「この壁の向こう側に住む人々を助けるのは必要なことよ。でも、あなたのやろうとしていることはそこからはかけ離れているのよ」

 おそらく、彼らは助けなど必要とはしていないだろう。少なくとも、こんな押し付けがましい「救済」などは、唾を吐きかけて嫌悪するだろう。
 救済など必要ない。
 あそこは、すべてから切り離された大地。誰の助けよりも、自分の足で立つことを目指す世界。

 彼女は、助けを拒み、自分だけの足で立っていたその代わり。
 自分の信念を貫いていた。
 自由のままに。


「暴力は何も生み出したりはしないわ。誰も助けたりはしないのよ。私は、ずっとあなたに、大切なあなたに、愛しいあなたに、それを教えてきたと思っていたわ。私は、あなたにそれを教えることはできなかった?伝えることができていなかった?」

 いいえ。
 あなたは私を愛してくれた。
 私の心を支えてくれたのはあなたの、私への惜しみない愛情。

 けれど。

 彼女は、私に、それよりもなお強い「光」を与えたのです。


 わたしはどんなことをしてでも、あの壁の向こうへ行きます。
 どんなことがこの身に降りかかっても、歩みを止めない。

 彼女は、あそこにいる。
 あの、荒れ果てた自由な大地にいるのだ。
 自分が今いるこの大地とは陸でつながり、けれど人が別(わか)った灰色の大地に。

 血を流し、けれどその瞳の色褪せることなく。

 カズマは、あの大地にいるのだ。



 だから、逢いに行く。

 そのための強さを欲する。
 あの夜、ぼろぼろに傷つきながらも、決して弱みも泪も見せなかったあの小さな少女を護るための、救うための、強さ。

 彼女は拒絶するかもしれない。
 あの強い少女は、護られることを否定するかもしれない。
 いや、きっと否定するだろう。
 全力で。
 力の限り。

 けれど、自分だって譲れない。

 もう決めたのだ。
 もう、決めたのだ。


 たった一つ。
 たった一つのその存在を。


 この手に、すると―――。





 シェリス=アジャーニ。
 ネイティブアルターたちにとらわれていた少女だった。
 助けて、HOLYへの入隊を薦めたのは自分だ。
 彼女にできるのは、自分が彼女に差し伸べてやることができるのは、ここまで。あとは、この少女が自分で勝ち取らなければならないこと。

 カズマは、今、どうしている?
 この少女と同じ目に合っている?
 あのときのように、また血を流して、誰にも気づかれずに泣いている?

 この少女とカズマが似ているわけではない。似ているといえば年齢くらいなものだろう。
 それでも、思い出さずにはいられない。
 想像せずにはいられない。

 あの強い瞳はきっと変わってなどいないだろう。
 相変わらず力強く、美しい輝きを放って、前を見つめていることだろう。

 そう、思っているのに、それでもこの胸を襲う不安。

 あの夜のように血に濡れて、一人でいるのだろうか。
 なぜ自分はいまだこんなところにいて、彼女の傍にいないのだろう。

 傷ついて。

 見つけ出したときに、自分は何ができるだろう。

 まだ、足りないと感じた。


 自分は、いつからこんなに欲張りになった。
 いつから、こんなにも渇いている?

 それは、あの夜。
 あの琥珀のまなざしに、囚われてから。





 桐生水守との出会いは実に7年ぶりというものだった。
 劉鳳はHOLYに所属し、彼女は医療班としてこちらにやって来た。なぜわざわざ危険で不便な土地へ進んでやってくるのか――劉鳳にはこの優しくも苦労を知らぬ少女の考えなど分かりようもなかった。

 彼の父親と母親は桐生水守の来訪をおおいに喜んだ。特に彼の母親は。
 またあの幼い頃のように…息子が自ら選んだ危険で悲しい仕事から離れてくれるかもしれないとの希望も持っていた。

 桐生水守の訪れた日の夕食の席。いつもは多忙な父までもがその席に出席し、久しぶりに家族が揃った夜でもあった。

「本当に久しぶりね、会えてとても嬉しいわ。あの頃から見てとても美しい女性になったわ。もちろん、あの頃からとても魅力的だったけれど」
「ありがとうございます。私もとても嬉しいです」

 桂華と水守は楽しそうに会話を交わし、時々大蓮が口を挟む。劉鳳は黙々と食事を進め、桂華や大蓮に話を振られ、それに応える程度であった。
 桂華はしきりに水守の女性らしさを褒め称えた。美しく成長したと。
 もしかしたら。
 もしかしたら、彼女は劉鳳に望んでいるのかもしれない。そして、話を振られる水守も望んでいるのかもしれない。
 彼が…あの、初めてその少女に出会ったあの夜に母から託された。あのペンダントを、この目の前に現れた幼馴染の少女に手渡すことを。
 だとしたら…。
 劉鳳は僅かに片方の口端を上げた。

(あれは…もうとうの昔にこの手元になどないのに…)

 あの夜に一度きり。
 たったそれだけの出会いで、けれど忘れられない人。

 その人を探し出す為に。
 そして、再びその人に出会ったときにその人に認めて(見止めて)もらえる為だけに、今の自分は自分を愛し護ってくれる母の反対さえ押し切って、彼女を哀しませてまでネイティブアルター狩りなどという行為すら行なっているというのに…。





 そして、再び出会ったのも、また、暗闇の中。

 光る金を帯びた琥珀の瞳に、目を奪われた。




 やっと、会えた。




 砂時計。
 その硝子が砕けて、砂があふれ出す。

 流れ出す砂はすべての守りを、役目を、規律を失い。

 しかし、どこにでも行ける。









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短い。そしてたいそう久しぶりです。連載止めてて本当にすみません。続きは未定です。
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