紅
暮れなずむ 紫煙見つけむ たつ火の見。 |
そもそも、それらは彼にとってはまったく必要のないものだった。 彼は武器としての爪や牙を持つ獣を狩ることを生業にはしていたが、戦うことを生業にはしていなかったからだ。 彼の属する集団にとって、『刃』とは生活に便利さをもたらす道具にすぎなかった。獣を捕らえることも、捕らえたその肉を切り分けることや他の何か――たとえば山菜や材木を切り分けることなどがとても便利になる道具。 それだけの意味しか持たなかったのだ。 だから、当然彼にとってもそれはそういうものであるべきはずだった。 武器としてそれを認識し、奮うことはもちろん彼らだって行うが、それを専門にする人間というものは、彼らの中には存在しなかったのだ。 けれどなぜか彼はそれに惹かれた。 鮮やかな紅蓮の炎。鳴り止まぬ喧騒。立ち込める紫煙に翳む人々。積み上がる屍の山。 何よりも美しいと思ったのは、その中で煌めく白刃の軌跡。 それを揮うためにいる人間。そのためにだけに生まれてきたかのような『人種』がいることを、彼はその日、初めて知った。 その衝撃のなんと云おうか。 重いはずのその鉄の塊を、まるで羽のように軽やかに揮い。 花咲く深紅の血潮を浴びて、その妖艶さ。赤が映えるほどの白。 熱を持った吐息。色づく頬の情熱。 手を伸ばして触れたいと思ったその横で、彼の父親は眉を顰めて忌々しそうに吐き捨てた。 『また山を焼きやがって』 その当時、山を降りた里のほうには『国』というものが存在し、彼らは覇権を争ってばかりいた。戦争には鋼と血と炎が不可欠だ。 飛び火したそれは彼らの活動範囲である森林をも焼き払っていく。 忌々しそうに里の人間を見つめる大人たちは、住処を追われながらも決して里の人間に争いを仕掛けることはしなかった。文句だけは散々口にして。 武器を持って戦えばいいのにと思いながら、あんなに軽やかにそれを揮う人種の前ではきっと無駄死にに相違ないとも思った。そして、そんなにも美しい『白き人』によって鮮やかな紅華(べにばな)を咲かせて死ねるなら、それはある意味で至福なのではないのかとも。 青く晴れ渡ったのんきな空を眺めながら、ぼんやり思ったものだった。 そうこう思っていたら、運命とはかくも残酷だ。 山に飛んだ小さな火種は瞬く間に燃え広がり、逃げ場をなくした彼の属する集団を丸ごと包んでもまだ足らず。山を一個丸裸にして漸く沈静化した。 どうせなら刃に切られて死にたいと願っていたことが良かったのか。とにかく彼には奇跡が起こり、無傷でそこに佇んでいる。 けれどそこにはもう食材も棲家も何もない。 仕方ないから移動を繰り返して、ある日、彼はとうとうそれを目にする。 武器はそこに隠されているらしい。手にしたら力が手に入る。美しいかの人に近づけるかもしれない。 手を伸ばしたが、彼はとてもひ弱で。 脆弱な彼には、一国の財産に手を出すことなど不可能だったのだ。 それでも諦めきれずにその国の近くにうろうろと身を留(とど)めていた。 国の周りを覆う森の影に身を潜ませて、そこで草を食み、小動物を狩って、真っ黒になって過ごしていた。 どこかに隙はないものかと、常に窺っていた。 そうこうしているうちに国が突然炎に包まれて滅んでしまった。そうして出会った黒装束の男。 斜に構えた視線で見下ろすその男こそが、彼に第三の人生を与えた張本人だった。 『お前に名を与えてやろう。――『紅真』。そう名乗れ』 紅。 それはあの炎の色だ。溢れる血流だ。 愛を囁く誰かの色だ。 そして、褪せることない紅玉――私の瞳の色の名だ。 愛しいと啼き、狂おしいまでに荒れ狂う衝動を抱えた私の。私の名だ。 そこで私は思いがけず。 貴きその純白に出会うこととなる。 |
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