+ 幻想リフレイン +
いっそ、消えてしまえればよかったのに。 どうして僕は、ここにいるんだろう。 2.Paradox Darkness それはただの、だが非常なる幸運の偶然。 「……ね、あれ。人じゃない?」 不意の相棒の言葉に、男はモニターに目を凝らす。 「どこだ?」 「ほら、あれ……」 彼女の指差した辺りには、確かに何か浮遊するものがある。 「ああ……あれ、もしかしてパイロットスーツ着てる? この辺りで、戦闘でもあったのかな?」 「まさか……コロニーがこんなに近いのに?」 「だな。――生きてるかな? この状態じゃ、望み薄だけど……」 「でも、このまま放っといても後味悪いよ」 「そうだな……」 息をついて、彼はその人間の回収に乗り出した。船内に収容し、とりあえず床に寝かせてヘルメットを外す。現れたのは、まだあどけなさを残した少年の顔だった。脈を診て、男は驚きの声をあげる。 「――おい、生きてるぞ!」 「本当!?――でもここじゃ、ろくな手当てできないし」 「……仕方ないな。コロニーに連絡しよう。――ホントは、あまり目立ったことはしたかないんだけどな……」 彼らはそもそも、この少し先の宙域にジャンクを探しに来た、いわゆるジャンク屋だった。頻繁に立ち入り禁止の宙域にも出入りしていて、今日もそういう類の宙域に向かう予定だったのだ。できれば妙なことには関わりたくなかったのだが、しかし宇宙空間で漂っている人間をそのまま見捨てるのも、非常に後味がよろしくない。 彼らは人道的精神に則(のっと)り、コロニーに遭難者発見の旨を伝えた。 コロニー近く、友軍の基地に入港し、アークエンジェルは静かにメインエンジンの出力を落とした。 ブリッジには、深い沈黙が満ちている。 ――誰もが、我が目を疑った。 ミサイルの爆発に巻き込まれかけたイージスを、ストライクが庇って……ストライクはキラ諸共、閃光の中に消えた。 呆然とするクルーたちの耳に、コロニーからの通信が飛び込んできたのはその直後。 「――撤退勧告!?」 声を荒げるトールを、ナタルがぴしゃりと制する。 「コロニーの近くで一戦交えたんだ。コロニー側が抗議するのは、むしろ当然だろう」 「けど! キラは!? あいつは――あいつはまだ――」 「……分かりました。コロニー側に打電。――撤退勧告、受理すると」 「艦長……!」 ざわめくブリッジで、トールたちが席を蹴って立ち上がる。 「何で! キラがまだ、この宙域にいるんだぞ!?」 「ここで撤退勧告を聞き入れなければ、今度はコロニーと一戦交える羽目になる。――ザフト側にも、撤退勧告は通達されているはずだ。これ以上、ここで戦闘はできない。それに、パイロットスーツには生命維持機能もついている」 「でもっ……!」 顔を歪めたミリアリアの声を遮ったのは、マリューの声だった。 「……ここで戦えば、巻き込むかもしれないの! コロニーも――キラ君も……!」 握りしめたその拳が、細かく震えるのを見てしまったから。 誰も、言葉を返せなかった。 「……ストライクとキラ君の捜索は、友軍基地に連絡して頼みます。――アークエンジェルは、これより離脱。友軍基地に向かいます」 「……了解」 ノイマンが、舵を切り直す。 「――まったく……お人好しにも程があるぜ、ボウズ……」 帰艦するメビウスゼロのコクピットで、フラガはやるせなく呟いた。 ――彼は、最後に何を呟いたのだろう。 撤退勧告を受け、ヴェザリウスに帰艦してから、アスランはずっと部屋に篭ったままだ。 ……思い出すのは、鮮やかなまでの閃光。耳に突き刺さるノイズ。そして、その中でも不思議に耳に届いた、キラの声。 (……俺は、何を守った?) コロニーは無傷だ。ジンは落とされたが、ガンダムも大した損傷はない。 ただ――。 (俺は……この手で、何を守れたっていうんだ!) 力の限り、拳を壁に打ちつける。痺れるような痛みも、今は気にもならない。 ――『血のバレンタイン』で、母を奪われて。だからせめて、一番大切な親友は、戦禍になど巻き込みたくはなかった。 だからこそ、戦争の終結を願って、自分はザフトに志願したというのに。 ザフトの作戦で、結果的にキラと敵対し。ザフトとして、敵として、彼と刃を交えなければならなかった。 そしてその挙句が……これだ。 ――守りたかったのに。 逆に守られて。 「俺は……!」 絞り出すような声が、アスランの喉から洩れた時、ドアの外で遠慮がちな声がした。 「……アスラン。――入って、いいですか?」 「……ニコルか」 囁くような声で、アスランは答える。 ドアが開くと、ニコルが飲み物のボトルを抱えて立っていた。 「……喉、渇いてません? これ、美味しいんです」 「悪いが、今は……」 「アスラン……」 ニコルは痛ましげに眉を寄せたが、アスランの返事は予想の範疇内だったらしく、あっさりとボトルを傍のテーブルに置く。 断りを入れてもう一つのベッドに腰かけると、ニコルは口を開いた。 「あのストライクのパイロット……あなたを庇ったんですよね」 「……ああ。――あいつは、そういう奴だから……」 アスランの顔が、また泣き出しそうに歪む。 「人が、良すぎるんだ……他人が傷つくくらいなら、自分が代わりに傷を受ける。――ちっとも変わってない」 「……友達、だったんですね」 「……ああ。――離れなければ……俺が月に残るか、あいつがプラントに来ていれば、きっと今でもそうだった」 「どうして……」 「あいつは、一世代目のコーディネイターだ。――ナチュラルの両親を振り捨ててプラントに来れるような奴じゃない。かといって、俺には月に残る口実も、力もなかった」 顔を覆って、深く息をつく。 「結局、今でも同じだ……俺には何の力もない。――あいつを守るどころか、逆に庇われて……」 「……優しい人なんですね」 ニコルの言葉に、アスランが顔を上げた。 「優しい?」 「アスランも、彼も。――優しい人です」 『優しい人だった』ではなく、『優しい人です』。 過去形を避けるニコルの心遣いに、アスランの表情がわずかに和んだ。 「……おまえもだ、ニコル」 鮮やかな光が、目に灼きついて離れない。 イザークは、通路の窓から外を眺めていた。 漆黒の闇にばらまかれた星々の輝きに、先刻までの戦いの余韻は感じられない。 それに彼が本当に『見て』いたのは、星ではなかったから。 ――あの時、密かにアスランとストライクのパイロットとの通信を傍受していた。ガンダム同士だから、それは意外と簡単で。 アスランが命令違反を犯してまで執着する相手が何者なのか、見てやろうと――それだけのはずだった。 そして……。 垣間見たその光の中に、深い翳(かげ)りを見た気がした。 ヘルメット越しに確認できた、幼さの残る顔立ちと紫暗の瞳。その瞳の中に、どうしようもなく苦しげな『何か』が見えたような気がしたから。 一瞬の光でそれがかき消されても、ひどいノイズが通信システムから飛び出しても、ボタンを押せなかった。 アルテミスの時の攻防で、デュエルの右腕をもぎ取ったのは、確かに彼だというのに。 あれほど渦巻いていた憎しみと屈辱感が、その時すとんと抜け落ちた。 自分でも訳が分からない、その感覚。 (……何なんだ?) 自問しても、答えは出ない。 ただ、彼の瞳の中に見た光と影を、どこか別のところでも見た気がして――。 「……ここにいたのかよ、イザーク」 廊下の向こうから、自分を見つけて近づいて来るディアッカに、イザークは目を向ける。 「何か用か」 「別に。ただ、不満なんじゃないかと思ってな」 「不満?」 「リベンジできなかったろ? ストライクにさ」 「……ああ……」 そういえば、と声を洩らす。ディアッカが、いぶかしげに目をすがめた。 「……何だ、らしくないな。デュエルの右腕持ってかれた時は、あんなに息巻いてたくせにさ」 「ふん……今さら言っても仕方ないだろう。ストライクは落ちたんだからな」 「イージスを庇って、か」 そして、肩をすくめて言い直す。 「いや……アスランを、だな」 「……そういえば、そのアスランを見ないな」 「部屋に篭城中だよ。――今、ニコルが様子見に行くとか言ってたな。放っときゃいいのに」 いつもと違っていやにしみじみと聞こえたその言葉に、今度はイザークが目をすがめる。 「……おまえも、いつもの調子が出てないようだが?」 「仕方ねえだろ。――あんな真似されちゃあな」 イザークと同じく窓の外に目をやり、ため息一つ。 「……戦場で、あんな真似するかよ、普通」 アスランの様子からして、知り合い――それもかなり親しい仲だったのは間違いなかろうが、それにしても身代わりになってまで相手を守るなど、戦場ではあるまじき行為だ。 戦場では、他人を蹴落としてでも自分は生き延びると、そう心に決めた者しか生き残れない。 現に自分たちも、そうやって生き抜いてきたから。 「あのストライクのパイロット……戦い方もろくに知らねえし、戦場で敵は庇うし……まるで軍人らしくねえじゃねえか。――何だか、後味悪いぜ。こんな勝ち方は」 決まり悪そうに頭をかき回したディアッカは、ふと思い出したように顔を上げた。 「……そういや、何人かで補給班編成して、コロニーに下りるってよ。何かいるもんあったら、申請しとけって」 「補給か……確かに、あそこまで派手にやった以上、ヴェザリウスで入港許可が下りるわけはないからな」 アクシデントとはいえ、危うくコロニーを沈めかけたのだ。文句など言えた義理ではない。 イザークはしばし考え、やがて首を振った。 「……特に必要なものはないな」 「あ、そ。――じゃあ俺は、先に部屋に戻ってるぜ」 ディアッカの背中を見送って、イザークは窓の外に目を移す。 見えるのは、静かな星の輝きだけ。 その静謐な光が、イザークの脳裏にある記憶を呼び覚ます。 それは、ザフトへ入隊してまだ間もない時、通信していた同胞が、撃墜される瞬間の瞳の光だった。 ――モニター越しに見たその瞳に宿っていたものは、覚悟の光と絶望の影――。 ――あの光に、溶けてしまえればよかったかもしれない。 そしたら……もう君と戦うことはないんだよね? 瞼越しにもまばゆい、白い光。 ……ああ、まだあの光の中なのかな。 そう思って力を抜いた身体が、何か柔らかいものに受け止められた。 (……え?) さらさらして、でもどこか暖かくて。間違っても、あの暗くて冷たいコクピットの感触ではない。 筋力を総動員する心持ちで目を開ければ、真っ先に視界に飛び込んできたのは、白っぽくてのっぺりした天井だった。 「…………え?」 今度は声まで洩らして、凍りつく。 ここはどこ? さすがに『僕は誰?』などという状態までは行っていないが、それでも盛大に混乱した頭に、かすかに漂う匂いがヒントを与える。正解は、程なく導き出された。 「……もしかして……病院?」 頭を巡らせれば、真っ白なシーツに枕、隣にはカーテンに仕切られたベッド。間違いなく病院だ。 (でも……どうして……) 呆然と、目を見張る。上体を起こそうとして、身体中が軋むような痛みに思わずうめいた。 そして間の悪いことに、隣のベッドでは検温が行われていたらしい。 すぐさま、仕切りのカーテンが引き開けられた。 「だめよ! あなた絶対安静なんだから!」 さあ戻れと言わんばかりのナースの表情に、ここはおとなしく従うしかない。 もう一度身体の力を抜いて、ベッドに横たわると、ナースは満足げに微笑む。 「よろしい」 「……あの、僕何でここに?」 「覚えてないの?」 うなずくと、ナースはふうん、と声を洩らした。 「あなた、このコロニーの近くで遭難してたんですって。それを、たまたま通りかかった人が見つけて、コロニーに連絡したのよ。ひどい怪我してたから、事情聴取は後回しで即入院。――だから、しばらくは絶対安静なの。いいわね?」 「あ……はい」 にっこり圧力をかけてくる彼女にうなずくしかなく、そしてふと窓から外を見やる。 建物のすぐ目の前、敷地を隔てるフェンスの向こうには、広い公園があった。アスレチックやステージなどで跳ね回り、駆け回る子供たちの姿に、ついこの間までの、何も知らなかった自分たちの姿が重なる。 もう戻れない、近くて遠い過去。 ――もう戻れない、彼の隣。 「……すいません。もう少し、寝てていいですか」 「もちろん。おとなしく寝て、早く治してね」 ナースが気を利かせてカーテンを閉めて出て行くと、もう一度窓の外へと目を移す。まぶしいほどの光の中で、無邪気に走り回る子供たち。 いつしか、頬が冷たく濡れていた。 自覚もなしに頬を伝う涙を、拭いもせずに窓の外を見つめる。上方に広がる、有限の空の向こうには、きっと彼がいる。 今、どうしているんだろう。 ……傷ついては、いないだろうか。 窓から視線を外し、ようやく上げた両腕で眼を覆う。 ――あの鮮やかな光に、溶けていきたかった。 これ以上、アスランと刃を交えれば、その内自分の方が狂ってしまうかもしれない。 でも、自分がそれをやらなければ、アークエンジェルが落ちることは目に見えていて、友人たちの命すら危なくて。 大切な人たちを守るためには、もう一人の大切な人を切り捨てなければならない。 膨らんでいくパラドックスは、心の中に闇を植えつけた。 アスランの手を拒むたび、戦いでMSを倒すたび、心に打ち込まれる楔。 ――もう、限界だった。 アスランがコロニーを守ろうと動いたあの時、自分は最後の一線を越えていた。 選べない二択なら、もうどちらも選ばない。 こんなどっちつかずの自分なら、いらない。 戦うためだけの鋼の翼など、もぎ取られてしまえばいい。斬り捨てるための刃など、手放してしまえばいい。 ――たたかいたくない――。 だから、あの光の中に飛び込んだ。 アスランは強いから、強い心を持った人だから。だから、生きて欲しかった。 こんなに弱い僕にはもう構わないで、前へ進んで欲しいから。 僕にはもう、未来を見る勇気さえないんだ。 矛盾だらけの現在(いま)から、解放されたかった。 それは、逃げだと分かっていたけれど。 自分勝手な現実逃避だと重々承知の上で、それでもこのまま戦いの中に身を置けば、いつか狂うかもしれない自分が怖かった。 人を殺すことに――そしてもしかしたら、アスランに刃を向けることにも、何も感じなくなるかもしれない自分。それが、何より恐ろしかった。 そうなる前に、自分の存在自体を消し去ってしまおうと思った。 自分がいなくなれば、戦力の均衡が崩れたアークエンジェルも、戦いに固執しなくなるかもしれない。そして、アスランにアルテミスの時のような無茶をさせることもなくなるだろう。 だからあの時、必死でストライクを駆った。 狂う前に、消えてしまいたかった。 なのに――。 死への扉にも拒まれ、今自分はここにいる。 「……どうして、助かったんだよ。僕は……」 かすれた声で呟いて、キラは腕の下で目を閉じた。 裏切りになったことは事実。 でも、裏切りたくないという想いは真実。 何もかもを裏切りたくなんかなくて、結局すべてを裏切ることになってしまった。 守ることを放り出して、差しのべられた手も拒んで。 いっそ何も考えることができなくなれば、どんなに楽だろう。 しかし命ある以上、それはできない相談で。 こんなめちゃくちゃな頭でも、もがき苦しみながらでも、考えて、見つけ出さなければならない。 自分が守るもの。 裏切れないもの。 自分にはまだ、それが必要だから。 自分自身を、保つために。 狂ってしまわぬように。 ――この心が、もう迷わぬように。 僕はまだ、ここで生きているのだから。 To Be Continued… |
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はづき様から頂きました。幻想リフレインの続きです。UPして次の日にはもう続きが…。すごすぎです、はづき様。そしてありがとうございましたvv 前回とは一変して心情中心ですね。みなさん、キラがどこかで生きていると思いたいのに、心の奥底で決してそんな奇跡はないという絶望に苛まれている感じで、とても辛いものでした。 キラも本当に追い詰められてて…。どちらも大切で辛くて辛くて、守ること、戦うこと、生きることからすらも逃げ出してしまいたいと。「たたかいたくない」という彼の心が痛々しかったです。それでも「僕はまだ生きている」という最後の言葉に救われます。彼がここでまた再び積極的な死に向かわず、生きていることを(たとえそれだけでも)受けて止めたことに。 訪れる結末に、今から期待でどきどきです。 |
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