朝露の君
流れる血の色がこんなにも鮮やかなのだと気がついた。
燃え上がる炎は、生と死 両方を持ち得ている諸刃の剣。
真の赤は、どちらなのだろう?
ACT-2
自分には力がないとは知っていた。
そして、力のない自分に口を挟むことが許されない事も。
だからといって、ただ黙って見ていることしかできないのも悔しかった。
見ているだけなんて嫌だった。
だから、参加したんだ。
せめて…。
それだけを胸に秘めて。
あの日から十年の月日が経った。
まだ幼かった彼も、今ではそれなりに大人になった。
もっとも、彼自身はそんな事など考えもしていなかったが。
紅真は懐かしさを感じずにはいられなかった。幼きあの日に訪れた場所に、今再び立っている。
しかし。そんなことを感じる事が到底許される状況ではない事も、よく理解していた。
目の前にあるのは、あの日とはかけ離れた状況。血に染まり、炎に燃ゆる無情な裏切り。
紅真が今立っているのは、城の一室に設けられている謁見の間だった。
広々としたそこの奥には、王と王妃と。そしてその子が鎮座すべき椅子が置かれている。
豪奢な。けれど決してうるさくない洗練された造りのその椅子は、
主なきどのような状況であっても、高貴な香りを漂わしていた。
ここは、いずれ紅真が治めるであろう国と同盟を結んでいた国の城だ。今この時、この国は滅んだ。
王と王妃と。その子は皆一様に、己の身体から流れ出した地の海に沈んでいる。
紅真は、目の前に崩れている彼らを、視線だけを向けて見下ろしていた。まるで無感動な視線で。
同盟国の裏切りは、この国とこの国者達に何を感じさせたのだろう。
そんなことを考えてみるが、紅真には何一つとして答えが出てはこなかった。
いつかはこうなるだろうという事は、もうずっと昔から知っていた。
ただ、あまりにも漠然とした予感に過ぎなかったのだが。
隣に佇む自分の父親の顔を、紅真はやはり視線だけを動かして覗きこんだ。
笑っている。
こんなに楽しそうに笑っている父親の顔を見るのは、どれほどぶりだろうか。
そう考えて、紅真は父がいつも馬鹿笑いしている事を思い出した。溜息が漏れた。
情けない。
誰にも気が付かれぬように、胸中で呟く。
自分の愛するべき国には、どうしてこうも馬鹿ばかりなんだ。
考えても仕方の無いそんな事を思う。
「これで奴らは全滅だ」
父の、笑を押し殺したような声に、紅真は顔を上げた。
そうしてほくそ笑む。嘲笑だった。
己の父と、その廻りで父と一緒になって笑っている味方に対する。
嘲笑。
(馬鹿ばっかり…)
紅真は胸中で呟いた。
彼の一族は、滅びてなどいないのだから―――。
奴隷市。
それは、この大陸では最も一般的な市の一つだった。老若男女問わず、様々な人間が売りに出されている。
彼らは鎖に繋がれ、または檻に押し込められて、自分が買われていくのを待つのである。
逃げ出す事はできない。少しでも生きたいと願うのならば、逃げ出す事は考えてはいけない。
ただ祈るのみである。自分を買ってくれる人間が、少しでも人としての心を備えている事を。
紅真は色眼鏡を掛け、同じ年の友人達と共にこの奴隷市に来ていた。
彼は王族である。その証は燃えるような赤い瞳だ。色眼鏡は、身分を隠すためのアイテムだった。
込み合う、奇妙な活気に溢れた奴隷市を、紅真は友人に案内されながら見て廻った。
彼の友人は貴族だ。何回か自ら奴隷を買ったことがあると言うことだった。
紅真は今回が初参加である。自ら出向かずとも、そんなことをする人間はいくらでもいる。
それを知っているからこそ、彼の友人達も、今まで紅真を誘うことはなかった。
今回紅真がこの奴隷位置に赴いたのは、自分の意志からであった。
友人で、奴隷市に行ったことがあると話していた者を誘い、
案内させるように手配したの、すべて紅真自身であった。
彼の友人達の案内で、紅真はこの市の中でも一際多くの人間を取り扱っているという
奴隷商人の開く市の前へ来た。
小太りで成金趣味そうな奴隷商人が、大仰な態度で声を張り上げている。
どうやら、彼の横に置かれている檻の中に順々に奴隷が置かれていき、人々はそれを競るらしかった。
今売られているのは小さな少年だ。
痛々しいほどに痩せてしまった腕を見ても、人々は何も感じてはいないようであった。
紅真の隣で、競りについて知ったかぶりで説明している友人達にも、それは同じことなのだろう。
そんなこの場のすべてを、紅真は冷めた眼差しで眺めていた。
「さぁ、次は女奴隷でございます!」
小太りな奴隷商人が声を張り上げた。いつの間にか、あの少年奴隷は売られたらしかった。
紅真は顔を上げた。
小太りな奴隷商人の隣の檻に、まだ紅真と同じ位の歳の少女が連れてこられた。
黒髪に紫がかった青い瞳の少女だ。
他の奴隷達と同じように、これ以上はむりだとでもいうほどに痩せてしまっていたが、
その瞳には力強い光が灯っていた。
「では200から!」
小太りな奴隷商人の掛け声で、競りが始まった。
人々は声を張り上げて各々の所望する金額を叫び合う。
一般的な奴隷の金額はいくらだったか?紅真はふと考えてから、隣の友人に尋ねてみた。
彼の友人の話しでは、女の奴隷の一般的な金額は、500〜600だと言うことだった。
今競りに賭けられている少女が安いのは、あまりにも痩せ過ぎてしまっている為だろうと。
聞いてもいないのにも話してくれた。
「250」
「251」
「280」
少女の値が徐々に上がっていく。痩せ過ぎで値の安い少女は、とても美しい顔をしていた。
体力がなさ過ぎて、もはや立っても入られず座り込んでしまっている少女は、
なんとも言えない魅力に溢れていたのだ。
「700」
とうとう少女の値は上がる所まで上がったようだった。
700というその声を最後に、人々は十面な顔で声を止める。
小太りの奴隷商人が、「もうこれ以上はいませんか?」と、頭上から人々を見まわした。
「それでは―――」
小太りな奴隷商人が競りの終了を告げようと手を上げかけた時。
紅真は不意に声を上げた。
「2000」
廻りの友人を含む、その場にいるすべての人間が彼に注目した。
奴隷に二千も出すなど、狂気の沙汰としか思えない。
彼の友人達も、驚愕と焦りと。そして疑心とに顔を歪めていた。
「お客さん…本気ですか?」
小太りの奴隷商人も信じられないというような感じで、おずおずと尋ねてきた。
紅真が本気だと言うことを伝えると、辺りからざわめきが沸き起こる。
彼の友人達は、しきりにやめた方が良いと小声で忠告してくるが、紅真はまったく聞く耳持たなかった。
元々、紅真は彼らの意見など聞くつもりなどないのだ。紅真にとって、彼らは友人ですらなかった。
「馬鹿じゃねぇのか?」
ざわつく周囲の一角から、一際大きな声が響き渡り、人々の周囲はそちらに向けられた。
見ると、そこに居たのは中々に裕福そうな服装の青年だった。
奴隷を買えるだけの裕福な家の者が集まっているここにおいてそう思うのだから、
青年の家柄は大した物なのだろうと推測される。
もっとも、紅真に言わせれば気ばかり強い馬鹿の一人に過ぎないのだったが。
「たかが奴隷に2000も出すなんてどうかしてるぜ。
いくら上玉だからって、元々は平均以下の200から始まったんだぞ」
紅真が目を向けたのを見て取り、青年は大仰に捲くし立てた。
呆れた。という態度をあからさまに出して話すその姿を見て、
紅真は噂に聞く三流役者とはこういう感じだろうか…などと考えていた。
紅真が何も言わないでいるのに調子付いたようである青年は、尚も言葉を続ける。
「お前、奴隷市に参加するの始めてだろ?初心者はそうやって失敗するんだよ。
悪いこと言わないからやめときな。700で終わりそうだった奴隷に2000も出す価値ないぜ」
青年の言葉を右から左に聞き流しながら、紅真は頭の住みに引っかかる何かを探っていた。
青年の声に聞き覚えがあるような気がしたのだが、思い出せない。
青年がまた何かを言おうと口を開きかけた時、紅真はふっと、皮肉げな笑みを作って見せた。
口の片端だけを上げたその表情は、人の怒りを湧き立たせる最も効果的な表情に思える。
紅真は口を開いた。
「2000なんかじゃ収まりつかない価値があるのさ。お前こそ、金がないなら潔く諦めろ。
700程度までしか出せない貧乏人が、いつまで恥をさらけ出すつもりだ?」
紅真の嘲笑混じりのその台詞に、青年はかーっと顔を朱らせた。
恥ずかしさと怒りに言葉も出ないようで、紅真を指差しながら口をパクパクと開け閉めしている。
まるで魚だな。
紅真は胸中で嘲った。
「な、なんなんだお前は。俺が誰だか知っての発言か!」
漸く言葉を発した青年の台詞は、どこまでも間抜けなものだった。
もう相手にしてやるのも面倒になってきたが、ここで無視をして付き纏われて、自分の正体がばれても困る。
そう思った紅真は、仕方なく口を開いた。
「お前が誰だかなんて知るか。この奴隷が欲しいならさらに金を出せばいい。その為の競りだろう?」
「くっ…。こ、こんな奴隷にこれ以上金を出すほど俺は馬鹿じゃねぇんだよっ」
そう言うと、青年は逃げるようにその場から去って行った。
思惑通りに事が運んだことに、紅真はほくそえんだ。
もっともらしい挑発をすれば、青年に逃げ場などないことは一目瞭然だったのだ。
そうしてその日。紅真は一人の女奴隷を買って帰った。
檻ごと引き取り馬車に乗せ、帰宅への帰り路の途中、紅真は一言呟いた。
「2000なんかじゃ足りなさ過ぎる…」
その言葉を聞いたのは、紅真自身以外の誰もいなかったが、彼は何も気にはしなかった。
単なる独り言に過ぎないその台詞がどうなろうと、本人にすらどうでもいいことだったのだ。
つづく
■あとがき■
紅真と紫苑が書きたいので、その他の登場人物の名前は極力出さない様にして書いています。
余り名前ばかり出すと、オリキャラばかりになってしまうので…。
パロディ物でオリキャラを出してしまうのは、余り好きではないんですよ。
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2001、8、14