月の精霊 星の王
***ACT-11***
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リセット。 すべてリセットして、初めからやり直せばいい。 時間はかかるけれど。 「でも、それで死のうなんて思えないしね〜」 「当たり前だ」 小高い丘の上には彩取り取りの花が咲き乱れていて。風が吹けばそれが舞い上がる。青いキャンパス。乱れる花の彩が覆う。 そんな空を眺めながら、壱与は笑って云い、紫苑はそれに静かに答えた。 「紫苑くん、身体の方はどう?」 「心配ない。まったくの異常なしだ」 「そう、良かったぁ…って、もし少しでも異常があったら、ここに紅真くんがいないわけないか」 壱与はおどけて云った。 紫苑の頬が僅かに朱に染まる。 丘の上に座っている壱与からは、真っ直ぐに立って前を見つめていた紫苑の表情は見難いものだったが、照れた表情を隠すために無意識に俯けばそうでもない。 壱与はそんな紫苑を窺がい見て、微笑を深くした。 「俺達と違って、神はただのプログラムだ。別にそれ自体に意志はない。…意志が生まれることもなかった。だから、電源を落とせばいい。プログラムを作動させている電源を」 それは目の前にある。 たった一つのボタンを押せばいい。 目の前にある。 あの、小さなスイッチ一つ。 「あれを押すだけで、プログラムの管理機能である「神」は消える」 紅真は云った。 不敵な…どこか皮肉な笑みを浮かべて。 神は何も云わない。 プログラム外のことだから。 何も云えない。 語る言葉は見つからない。 消えたくない。 そんな言葉さえも。 だから紅真は笑った。 プログラムは…いつまでたってもそれだけの存在でしかなかったことに。 そして、そんな存在を頂点にいただいていたことに。 「電源を落として…それで、おしまい?」 壱与も笑って云った。 泣きそうにも見える…どこか歪んだ笑い。 それでおしまい? それだけでおしまい? 今まで…今まで自分達を縛っていた鎖は、たったそれだけで断ち切れるの? 「さよなら」 真っ直ぐに歩き、紫苑は一言だけ告げた。 ボタンを押す。 まるでガラス玉のような、透明なクリスタルで出来たスイッチだった。 白く、すらりと伸びた指がボタンを押す。 「あなたを誰も敬わない」 何も云わない。 何も聞こえはしない。 音もなく。 ノイズ音の一つもなく。 その存在は消えてしまった。 「もう、誰もあなたのことを憶えてはいない」 だから、さよなら。 まず太陽の女王は宣言した。 「身分になんの意味があるの?この世はたったの一つなのに」 すべての垣根を消そう。 重圧と思い込みから生まれた、どこか不自然な平穏などではなく、すべての者の言葉から作られる平和を目指そうと。 次に星の王は宣言した。 「勝手にすればいい。自分の好きなように。誰にも、何かを縛る権利はない。ただ一つあるのなら、それは自分だけだ」 夢を持とう。 自分の未来に理想を持とう。 そして、理想の自分を目指そう。 誰かに従う必要はない。 自分が自分であるためならば。 もし自分を従わせることができる者がいるのであれば。 従わなければならない者がいるのであるならば。 それは自分。 夢を高みを、我侭に目指し、自分を磨けばいい。 そして月の精霊が云った。 「ここに神はいない。もう王もいない。必要ならば決めよう。この世に神や王が必要であるなら。生きていけるのならば、どんな方法でもいい。みんなで生きていく道を模索しよう」 もはや神はいない。そして王もいない。 まとめる者は誰もいない。 だがそこには民がいる。 ならばなんの問題があるのか。 まとめる者がいなければすべてバラバラに離れてしまうというのであれば、その時、決めればいい。 もっとも、それに適した者を。 生きているのならばそれいい。 生きたいと願う心が大切なのだと知ったから。 どんなに辛くても、からっぽになってしまっても。 生きていなければ何も始まらないし、何も終わらない。変わらない。 だから、生きよう。 どこまでも貪欲に。 「壱与はいいのか?この世界の王だろ?」 こんな所でのんびりしていていい者ではないはずだが。 そう思って紫苑は訊ねた。 すると、壱与は楽しそうに笑いながら。 「大切な従姉妹殿を、一人には出来ないでしょ」 親友なら、もっとそう。 「今、紅真くんが必死で探してる。生きる方法。大丈夫だよ。体弱くても。お腹の中の赤ちゃん、無事に産めるよ」 だって、死ぬ気なんてないんでしょ? 「当然だ」 「紫苑」 掛けられた声に、紫苑はそちらに顔を向けた。 そこにいたのは黒髪に真紅の瞳の少年。……いや。もう青年と呼んでもいいだろうか。 「紅真?!どうしたんだ?研究の方は?」 紫苑は自分の方へやって来る人物――紅真に向けて問いかけた。きょとんとしたそのかわいらしい表情に、紅真の頬がわずかに緩む。 「神」の管理していたプログラムがどんな物なのか。 紅真は現在それを研究している。 生き物の歴史も。進化も。 どこがどう狂わされ、むしろ正されていったのか。 遺伝子の何が操られ、そして自立していったのか。 世界は自分達のまるで無意識によって、どう創られようとしていたのか。 「一時休憩だ」 「紫苑くんに会いたくて我慢できなくなっただけでしょ」 息抜きも必要。 そう云う紅真に、壱与はからかうように云った。 「わりぃかよ…」 図星だったらしい。 紅真は言葉を詰まらせ、その様子を見て壱与と紫苑は笑った。 不貞腐れたように顔を顰める紅真に、紫苑は優しく微笑みかける。 もうすぐ母親になる女性の、綺麗な微笑だった。 「いいじゃないか。やっと…逢えたんだから……」 ずっとずっと願って、思って。 ようやく逢えた。 そして、もうすぐまた出会う。 新しい命に。 生きていればいくらだって出会う。 知っている人。 知らない人。 逢いたい人。 逢いたくない人。 いくらだって出会う。 そして、未来が紡がれていく。 「この子も…逢いたがってた」 両手でお腹を抑えながら。 紫苑は優しい表情で云うのだった。 これから産まれてくる。 誰にも。 何にも縛られない命たち。 これからの未来を担う者。 未来を創る者達。 そして、丘の上には風が吹く。 |
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