「あいしてる」5題・切望編 2-いまだけでいいの- | |
風が冷たさを孕み始めていた。気の早い葉の中には既に色づいているものもある。紫苑は風に黄葉の舞う中を歩いていた。 愛用の真紅の外套が風に吹かれはためく様が視界の端に移りこむのを、紫苑は気にも留めずに歩みを進める。乾き始めた草が、踏み締められるのに合わせて啼いていた。 ふと、その視界にうつるものがあった。 罅割れた茶木の並、紅葉し始めた緑黄の混葉、敷布の如き落葉の黄色。そしてその隙間に所々見え隠れする秋空の薄青。夏ならば雲一つない快晴であるのに、冬に近づきつつある空の色では、そこまでの輝かしさはない。 紫苑は足を止めた。 秋の迫りくる季節の中、その静謐な林の風景に一つ、人影が入り込んでいた。それは木の幹に凭れ掛け眠っているようであった。あと一歩。紫苑の足が前へ踏み出せば、その人はその気配に気付き目を覚ましてしまうだろう。 紫苑の視界が人影をとらえることのできる限界距離。眠る彼の人の警戒線の限界。佇む紫苑の眼前に、舞う落ち葉よりも薄く、吹く風よりも透かされた壁が一枚、在る。 触れることすら叶わぬその薄皮のような壁の向こうにだけ、紫苑は意識を向けていた。 空色と黄色の景色の中にあるその影の主なら知っている。黒い髪に黒い衣装。紫苑は外套だけは鮮やかな血の色であったが、その人は外套までも黒を好んだ。 紅真。 兄弟のように近しい存在だ。彼は紫苑に嫌悪と憎悪を、紫苑は彼に恋と愛を抱き、思い通りにならぬ互いの在り様に、二人ともに胸を焦がしている。 紫苑はその場に腰を下ろした。側近い木にその身を預け瞳を閉じる。風はもう随分と冷たいが、日差しはいつだって暖かい。日が落ちるのは随分早くなって久しい。すぐに黄昏時が来るだろう。それでも眠っていようと思った。 彼と紫苑のその間には百余歩の距離。目覚めれば彼はすぐに紫苑の気配に気づくだろう。そして無言で去っていくだろう。 それでも眠っていようと思った。 夢の中に居続ける限りは、「今」が続くのだから。 今だけは、彼の隣にいることを、共に眠る安らぎを得ることを、許されるのだから。 |
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あ い し て る |
back 短…。 written by ゆうひ 2008.11.23 |